毛。
アクリル毛布は家庭で洗濯できるらしいので。
洗濯してみた。
正直、困った。
デカすぎて干すトコが無い…
アクリル毛布は家庭で洗濯できるらしいので。
洗濯してみた。
正直、困った。
デカすぎて干すトコが無い…
なんだかみんな難しい顔しちゃってさ。
仕事のウンタラクンタラだの、
男女のナンタラカンタラだの、
家族のナンヤラヘンヤラだの、
守らなきゃいけない規制線とか何だとか、
そんなん考えてどーなるっての。
世間一般の
「かくあるべし」
なんつー常識の枠ってのは、
要は誰かにとって都合のいい情報操作であって。
そんなもんに縛られて、
せっかくの自分の一日一日ってもん、
真っ直ぐ見えてないんじゃないの?
なんだか面倒臭い瑣末なことにかかずらわってさ、
そんであとたかが40年やそこらの人生、
浪費してんのってもったいなくない?
なんか20年やら30やら経っていろいろ世間一般の安定を得て、
そんでそれから~、
なんて思ってみても、
そんなん、
老いてスペックの落ちた躰で、
そっからスタートなんて、何ができる?
せっかくの日々、
自分の本当に求めて、
本当に満足することやってかないと、
全然意味ねーじゃん。
もぅ強欲なくらいさ、
そん時やりたいことやってかねーと。
刹那主義だけじゃぁ、
先細りしてって、死ぬ時後悔すっから、
長いスパンで自分の目標に向かって行く楽しみと、
刹那刹那を全力で楽しんでく楽しみと。
両方持ってないと。
やりたいことをやって、
言いたいことを言って、
それ以上もそれ以下も無い。
そうであろうとなかろうと、
結局はケツ拭くのは自分。
世間様に恥じないように生きて自分の可能性殺しても、
肝心の世間様は責任なんて取ってもくれないんで。
生きるってのは。
活きることなわけで。
活きてるか?
死んでんじゃないの?
10月。
「2月に社員でバンド何組か組んでチャリティー企画をしよう」
常務と押野課長の雑談でそういう話が出てきた。
ってのを俺は同僚の白井くんから噂で聞いたわけだが。
まぁ、もう時間も無いし、他愛も無い雑談だと思ってたわけだが。
その間、常務も誰に何を言ってくるわけでもないし。
1月。
「俺が10月から言ってるのに、誰も動かない!どういうことだ!これは業務命令だ!!!」
という旨のことをいきなり(頭のおかしい)常務がいきなりキレて言い出したらしく、
おかげで大変なことになった。
2曲やらされるハメに。
練習期間、2週間。
何をしろと。
もちろん、2週間っつっても、
仕事は今が一番忙しい時期で(教室の春募集や進級の詰めのため)、
それぞれがそれぞれ、仕事でてんてこ舞いで、
実際に練習できる日は、
せいぜい4日くらい。
もう本当に何をしろと。
その出来でチャリティーもクソも、単なる耳汚しに過ぎないんだが。。。
というわけで。
本部長、米沢主任と組んで、
俺パートは、某洋楽バラードでカホン&Cho.、
某懐メロでベース&Vo.、
2曲編成ですう゛ぁい。
今日は偶然19時過ぎに事務所出れたんで、
その後本社に行って個人練習。
22時過ぎまで。
久々にベース弾いたんで、
指がえらく痛い。
しかもなんだかんだ、
どうせ冬に仮名書のほうのライヴでも使うなぁ。
と思って、
けっこういいベース注文しちまいました(てへ)
時間も無ぇし、本番はすっげー嫌だけど、
練習してる時は楽しい。
やっぱ演奏してるの好きなんだなぁ俺。
ということに気付く冬の夜長。
それにしても。
前も書いたように、
いつか常務に喰らわしてやろうと思っとるが、
なかなか顔を合わせる機会が無い。
楽しみなんだけどな。
「UFOは絶対アダムスキー型がいいよなー」
と言ったら、
「UFOに好きも嫌いもないだろ」
と言われた。
UFOに!!!
好きも嫌いも!!!
無いだと!!!!
お前、どこの地球人だ!!!
葉巻型が好きとか、
ドーナツ型が好きとか、
ほら、あるだろ。
隠してないで正直に言えよ。ウリウリ。
さぁ、正義の男の出番ですよー。
擾乱。
本社から今の営業所に移って1ヶ月と1週間。
その間に。
本社はえらくたいへんなことになっているという。
もぅドラマ。
秋に室蘭支店からやってきた常務が、
社長にゴマすりまくって(聞いてて気持ち悪い)、
指揮権を与えられたもんだから、
これがもぅ大変。
パワハラの嵐。
暴君なんてもんじゃない。
完全に人間性が破綻してるとしか思えない暴言の数々。
強権の発動。
ほら、あれよ。
昔チャイでよくあったじゃん。
暗愚な君主が宦官を重用して、国を滅ぼすの。
社長室って後宮で密議だから、俺らには何が進んでるのかもわからねぇし。
そんでいて。
「こっちの人間は全く使えない」
的な発言を電話でしていたらしい。
(偶然拾い聞きした社員がいる)
理不尽な暴言、
意味不明な強権、
それらの被害に曝されている本社の社員達のモチベは下がる一方。
本当に衝撃的なくらいひどく、
訴えたら間違いなく勝てる。
また、言われる人たちもやっぱ大人しいっつーか、
我慢しぃさんというのか、
そこまでできずに悶々としているのだけれど。
さぁ。
これこそ。
俺の出番じゃないか!(ワクワク)
理不尽な主任に毎日堂々と正論で反発し、
入社1ヶ月にして
「クビに最も近い男」
と言われた俺様が来ましたよー!
常務だろうが。専務だろうが。社長だろうが。
正義・正論の道を塞ぐ奴には容赦はしねぇ。
正道は権力では決まらない。
だいたい、所詮一民間企業の管理職がなんぼの権力だっつーの。
会社のためとか、みんなのためとか、そんな大層なことじゃなくて、
自分の信じる正道のために、
一番槍としてそろそろ直接切り込もうかと。
別に俺自身は何もパワハラされてないんだけど。
(半無視されてるけど)
別に、
クビは寧ろ喜ばしいし(会社都合ですぐに失業手当おりるし)、
法廷闘争だって望むところなんで。
「クビに最も近い男」は、
主任、店舗リーダー、部長との闘争をクビにならず勝ち抜き、
いよいよ常務というボスキャラとの対決ですが。
俺に引導を渡してくれることを望もーじゃないの。
まぁそん時は常務も無傷ではいさせないけどな。
刺し違え上等。
あー、楽しくなってきた。
この前、某件で某嬢と話していて思った某。
世には、定期的な転勤が義務づけられている職というものがあるが。
正直、それはどうなのだろう。
と思うし、
その人生の中や先に何があるのか。
ってのが俺にはわからない。
やっぱりどう考えても俺には、
友人たちとの関係性ってのが何よりも大事で、
で、やっぱそれは、一朝一夕でどうこうなるもんでもないし。
やっぱそういうのって長い時間をかけて紡いでいくものだし。
俺の目指すところは、
最大多数の最大深化。
自分と全く異なった仕事をして、
自分と全く異なった夢を追っているような、
そんな友達を厭くことなくどんどん作っていきたいし、
それも、何らかの繋がりの中で友達面して、
その繋がりが無くなったらはい、さよなら。
ってなもんじゃなく、
よっ、最近どう?なんて、何年も何年も気軽に続いていける、
そんな関係でありたいと思っているし。
そんな大事なことが、
転勤の人生の中で、果たして成っていけるのかな、って。
俺の生活ってのは、
そんな周囲の友人たちのくれるビンビンの刺激によって支えられてる部分が果てしなく大きく。
見知らぬ土地に行って、職場と家の往復。
そんな中で得られる物は何?
例えば2年や3年じゃ、サークルやら何やらで、
友達作り始めて、ようやく形になってきたところで、はい、さよなら。
なんて。
継続的な関係ってのは、
同じ物を共有する、職場の人と、
そんで配偶者。
それだけの中で、いったいどんな風に自分の価値観を広げて、
そんで、どれだけの信頼関係を築いていけば良い?
少なくとも人見知りの俺にはできないなぁ、とは思うわけだ。
職場と配偶者だけという閉鎖された価値観で満足するのは美徳じゃないし、
いくらいろんな土地でたくさんの人と出会おうとも、
それを長い時間をかけて強固に紡いでいかなきゃぁ、
そんなんは袖擦り合っただけの、他生の縁。
昔、誰か大人に聞いた話。
学生の頃の友達が一番続く友達だよ、って。
でも、そんなの、おかしい。
高校や、大学や、そういう時期にできた友達ってのは、
そりゃぁ、3年も4年も顔合わせ続けるわけだし、
その間に強固に築いた関係は、続きやすいとは思うよ。
でも、
社会に出てから新しく知り合った友達だって、
そんなの、条件は、変わらない。
そういう人って、職場と家庭だけの往復になってるんじゃないの?
そりゃぁ仕事もあればさ、
学生の頃のように、新しく知り合った友達としょっちゅう顔合わせて、
ってわけにはいかないかもしれないけど。
でも、それだけが全てじゃない。
せっかく知り合った人と、その縁を大事にしようという、
そんな意識が欠けてるんじゃないの?
方法は、もっと、たくさん、あるよ。
せっかく知り合ったんだから、
3年でも4年でも、長い時間かけて、
バカ言って、くだらない話とか真面目な話とかして、
そんで何年経っても、
「ちょっと今日、飲みに行かない?」
なんてやってたいし、
過ぎ去って移ろいゆくもの、なんて、勿体ないじゃん。
蓄積してかないと、そんなのおかしいじゃん。
取捨選択をするんじゃなく、
一人でも多くの人と知り合って、
そんで、その全てを大事にしていかないと、
きっと俺はバチが当たる。
って考えてるんで。
自分の中で、やっぱ、それが、基幹。
だから、知り合って1年やら2年やら3年やらの人は、
これからも夜露死苦。
それ以上の人は、今まで以上に夜露死苦。
今日は、決め台詞の「愛してくれ!!!」は言わない。
もっと、主体的で能動的なアレ。
ってなわけだ。
どうしても許せないものがある。
コメ派じゃないひと。
もう!
これは!
最低でも1日に1食は米じゃないと発狂する俺にとっては(朝ご飯食べない派なのに)、
米無しで1日を終えるなんて!
あり!
得!
ない!!!
というのも、
先日の羽田送別会で行ったホルモン焼屋。
肉何品かは最初に出てて、後は、
ホルモン食べ放題。
ライスは別料金。
おい!!!!
米無しで肉を食えと!!
欧米か!!!
あぁもぅ耐えられない。
1食1合。
これ基本。
生まれた時からどんぶりめし。
それ半田屋。
醤油かソースがあれば、それだけで御飯1合食べれる。
ってか、昔よくそれだけで食べてた。
大根おろしがあればなお良し。
パンとか、
麺とか、
トルティーヤとかもいいけど。
でも!
やっぱそんな横道はたまにでいいだろ。
ファミコンは1日1時間。
小麦粉は2日に1回。
おいもは大切な主食だとご先祖様が言ったけれども!!
でも日本人なら米を食え!
北海道民ならきらら397を食え!
秋田県民ならあきたこまちを食え!
新潟県民ならコシヒカリを食え!
東京都民ならきらら397を食え!
大阪府民ならきらら397を食え!
静岡県民ならきらら397を食え!
福岡県民ならきらら397を食え!
(以下続)
ちなみに俺はいつも二木町銀山産のきらら397。
なんせコメチェン。
お、か、わ、り、どですかぁぁぁ?
という、
ごはん食推進委員会の、
アレだ。
ほら、やっぱ、
こ!!!!め!!!!
っていう響きがいいよな。
Pan!
とか、
Men!
とか、
欧米か!!!!(再)
鼻を押したら人形に入れ替わるとか。
バケルくんか!!!!(謎)
まぁ、そういうわけで。
米を食べない人はアンチグア・バーブーダ人ということで確定。
やったぜ国際親善(和)
何が自由人だ。
自由人と言ってる奴に限って、自由人じゃないのだ。
っつーか、
だいたい、人間として生きている以上、
本当の意味での自由なんてものは存在しない。
現世、人間は結局経済システムの中に収斂されるわけで、
生命の維持活動そのものが、その中でしか成し得ないのだから、
自由なんつっても、
生きるための食料を購入するための原資稼ぎという、
極めて文化社会的な制約の下に動いてるに過ぎない。
本当に自由人だと主張するなら、
一切の消費活動をしないで生きてくしかない。
食料は自給自足。
農耕・狩猟・採集のための道具も手作りもしくは拾い物。
電気もねぇ、水道もねぇ。
もちろん、他者と共同でやっちゃぁ、その相手との関係上の制約が生じるから、全て独りきりでやんなきゃダメだ。
どうだ。
これが自由人。
これができねぇで自由人ってのも片腹痛ぇ。
社会システムの中での基礎的規範に背を向けて、
へっ、なんて粋がってみても、
結局はその制約の中でしかないという事実。
本当により良く生きるのなら、
それを斜に見るのではなく、
それを正面から踏み越えていくことだ。
背を向けちゃぁ、
一生、
向こうの風景は見えない。
みんな元気そうで何より。
いつも言うことだけども、
人と人との関係というのは、奇跡よりも奇跡な確率なわけで。
日本人として生まれたこと。
ちょうど同じくらいの世代に生まれたこと。
そんで、これだけ広い日本の中から、
ちょうど同じ時期に札幌にいる確率。
そんで、数多あるバイトの中で、
競馬場を選ぶ確率。
そんで、巡回班に配属される確率。
全てを掛け合わせたら、
それはもぅ、塵芥とも言えるくらいの薄い確率。
そうやって出会った人と人。
時間が過ぎて、ハイサヨナラ。じゃぁ勿体ない。
だから。
競馬場を辞めて2年経つわけだけども、
こうやって、またみんなに逢えるということは、
とても大事なこと。
全ての友人が、
果てしなく薄い確率の下に邂逅して、
そんでその必然の中で過ごしていく。
自分が自分であることは、
そうやって支えられてるわけなので。
環境とか、
性別とか、
年齢とか、
職業とか、
立場とか、
なんだかそんな、個体識別のために人間の言葉で付加されたナンヤラカンヤラ、面倒くせぇことこの上なくて。
そんなもん全部一回まっさらに見てさ、
みんな仲良くな、
これからもやっていけりゃいいと思うわけよ。
Big up all mi friend dem.
普通さー、
「オズマ」
って言葉を聞いたら、
巨人の星の「アームストロング・オズマ」
のことを思い浮かべるよな?
脳内条件反射。
子どもの頃、オズマの真似したりとかしたからなぁ。
なんか周囲の話題についていけないと思ったら、
ここの認識の相違のせいだったらしい。
ちゃんと、
「巨人の星じゃないオズマ」
って言えよ!!!!!