月別アーカイブ: 2月, 2006

友情。

February 26 2006 23:58

今日、レジ上げなぞをしてる時にカヨちゃんと話したこと。
 
若い頃は友達の大事さってそんなに実感しないんだけど、大人になるとだんだん身に染みてわかってくるということ。
うーん同感。
つってもカヨちゃんはまだ23だけども。
 
そんで話したのは、
俺ってこういう性格だし、
友達少ないほうだと思ってたんだけど、
意外とそんなに少ないほうでは無いのかも。
多いほうでは決して無いけれど。
 
そしていつも救われてばかり。
感謝してます、まいふれんど。
この場を借りて。
 
いつか、その分だけちゃんと返せるようになるから。



Categories: 思う。, 自分という存在。

レア。

February 25 2006 23:42

たまには音楽の話なぞもしてみる。
 
ここ3ヶ月くらいにリリースされた曲で良かったのは、
 
・キュウ
・ソラノジオ
・うたまろ
・なっちゃんPEAK
・Big Bird
・riddim saunter
・HAN-KUN
・SHOCK EYE
・URCHIN FARM
 
といったところ?
特にHAN-KUN、URCHIN FARM、なっちゃんPEAKはかなり良かった。
ただ、2005年は全体的に低調というかいい曲少なかった感じがしたけど、06もまだその流れ引きずってる感じだなぁ。



Categories: カルチャーの嵐。

「ぼくら」。

February 25 2006 23:11

世間的に許されないことと、
環境的に許されないことと、
自分的に許されないことは、
それぞれ少しずつズレがあるから、
そのズレてる部分をどうしたいのか、
それはしっかりと考えて欲しい。
世間的にも環境的にも許されないけど、
自分はきちんと納得してできること。
世間や環境に盲目的に合わせるんじゃなくて、
自分の中でそれが大切な自分の一部ならば、
世間や環境に対して上手に隠匿しながらの、
密やかな楽しみってのを、大事にして生きたい。
それは、これからも、変わらない。



Categories: ふたり。, 思う。

奥まで揺らせ!。

February 24 2006 23:03

さぁ、またもやショウタイム!
何が何って、みさき嬢から回ってきたよバトンだよマイガール。
前回がイケイケモードでメリケンサックどりーむだったので、
今回はセクシーな雰囲気を漂わせながら世の中の淑女たちを血まみれ液まみれにしてしまうくらい情熱的に答えてやるぜコラァ!
 
 
■今ドコにいる?
札幌市東区(中略)305号室の椅子に鎮座。
 
■今一番近くに誰がいる?
残念ながら配偶者が無く、ラマンもいないので、
当然の如く室内には誰もいない。
隣の部屋の人も帰ってきていないようなので、おそらく一番近くにいるのは下の階の人かな。205号室。
 
■今どんな服装?
とりあえずスーツを脱いで、Tシャツにトランクス。いやん(くね)
 
■今何食べたい?
えへへ(謎)
 
■今何飲みたい?
牛乳。
 
■今ドコ行きたい?
のんびり道東なぞ行けたら。
 
■今真後ろには何がある?
椅子の背もたれ。その後ろには掃除機。
 
■今まわりを見渡して、いちばん目に付いたものは?
コンガ。それからSD-90。それからシンセ。
 
■今誰に会いたい?
未だ巡り会わぬ運命の人。
なんて甘~い回答を俺がすると思ったら大間違いだこの野郎!(殴)
まぁ会いたいと思う人もいないことはないが、名は出さない(謎)
 
■その人に今伝えたいことは?
全ては偶然と必然が折り重なって起こることだから、
それがどう進むのかは誰にもわからないし、わかる必要も無い。
ただ、その必然に人為的な何かを加えていくことはできるから、必要なのは、信念と、気楽と両方。
 
■今一番歌いたい曲は?
特に無いけど敢えて挙げるならMONKEY KENの「H・A・P・P・Y」かな。
 
■今頭の中でパッと思い浮かんだ言葉もしくは台詞は?
ぶるんぶるん。
なんでこんな言葉思い浮かんだんだろう。。。
 
■今の体調は?
過労死直前。たまには連休が欲しい。。。
 
■今どんな気持ち?
とにかく1日ゆっくりできる日が欲しい。それしか考えられない。
最近、メンタルもフィジカルも限界点寸前で、吐き気が酷い。
胃腸も壊滅中。ドライアイもやけに激しい。
1分くらい歩いただけで全身に力が入らなくなる。死ぬか!?
 
■回す人なぞ指名してみよう。
でんちゃん、鼻先、まりっぺ、ゐ。



Categories: バ、トン。

全力ふれんど。

February 23 2006 01:39

例えば自分と仲の良い友達が、
それまではいろんなことをみんなで話して、
お互いリスペクトし合えるようなコだったのが、
良くない奴らと付き合うようになって、
妙に壁を作るようになったり、
人のことを冷めた目で見たり平気で侮辱するような発言をするようになったりするのは、
それはとても哀しいことで。
でもきっと本人はそれに気付いていなくて、
自分はそうなってるのに、相手には今まで通りのものを要求して。
 
ねぇ、それは無理だよ。
俺らがみんなリスペクトし合えて、今もずっとこうしていられるのは、
たとえどんなことを言っても、そこに愛情があって、お互いを信頼し合えてたからだ。
それが、一歩引いたスタンスから愛情無く冷淡な言い方するようになっちゃぁ、そこに信頼なんて生まれるわけない。
やっぱグループ的な部分はどうしてもあるから、みんな表面的には変わらないかもしれないけど、
それでもやっぱ、心は離れてく。
それを本人が気付いた時には、もう遅いと思うんだけど、じゃあ俺がそれを言うわけにいかないわけだし。
お前、あいつらと付き合うのやめたほうがいいぞ、なんて、
そんなのは結局、本人の選択で、本人の自由意思で、本人が判断すべきことだから。
そんな時、俺らは、無力だ。
 
どんなに信じ合えた友でも、
環境一つで、簡単に、崩れる。
できることが無いという絶望。
どれもこれもなんてできやしないんだから、
俺は、俺を信じてくれる人たちを全力で信じたい。
信じ合うには、全力の努力が必要だから。



Categories: 感情。

ワッスルNo.1。

February 20 2006 16:28

会話ってのを、プロレス的な楽しみ方をしたいの。
 
ただ表面的にさらっと撫で合って、
まぁとりあえず一通り終わり。
ってんじゃなくて、
 
時に力比べから始めてみたり、
奇襲をしてみたり、
アクロバティックにいってみたり、
 
攻めさせやすいようにわざとスキを作ってみたりして、
相手がそこに乗ってきたら、
「よし来たー!」なんてほくそ笑んで、
それを受けて楽しんだり、時にはかわしてみたり。
 
同じように相手が作るスキを、それと知りながら、
「よし、じゃあ行っちゃうぞ!」
なんてわざと乗ってみて、相手のペースに合わせてみたり。
 
たまには、相手の攻めがいいトコ入っちまって、
そんでこっちもムキになって、正面からぶつかってみたりとか。
 
そういうのが一番人間くさくて面白いじゃん。
それを、なんだ、かんだ、常識とか、マナーとか、
そんなん関係無いっつーの。
お前、ロボットかっつーの。
その時、その相手だからこそ生まれるものってあるわけじゃん。
それをスイングさせてくのが、コミュニケーションじゃねーかな。
なんて思うわけだ。



Categories: トンガリ。

悪ノリ。

February 19 2006 02:06

なんせ悪ノリ大王なもので。
 
今日みたいな気心の知れた飲み会だと、
普段眠らせている血が騒ぎ出すわけよ。
そんなわけであのテンションなわけだが、
 
どんな飲み会でも中には一人やら二人やら常識人がいて、
常識的な見地から俺の悪ノリにブレーキをかけたりしてくると、
俺もこの悪ノリパッションをどーすりゃいーの、と。思うわけだ。
 
やっぱ、いじって、いじられてナンボだと思うので、
みんながみんな、誰にも斬り込まないような、
距離を置いた話なんざ、何の興味も湧かんし、そんな程度の話で満足できるんだったら、ハナっから会社でも仲良くやっとる。
結局、俺が求めてるのはもっとクロースなコミュニケーション。
いじって、いじられて、そんで悪ノリもどんどんエスカレートして、
そんでも笑ってリスペクトしてる。
そんな友達がいいんだ。



Categories: つらつらと。

半生一の本に出会ったという書評。

February 16 2006 23:49

木村元彦・著「オシムの言葉」
「名将」と呼ばれる監督がいる。
まるでジグソーパズルを組み立てるかのように、弱小チームをあっという間に、美しい絵のような理想的なチームへと作りあげてしまう。
彼の名はイビツァ・オシム。
Jリーグ・ジェフ千葉の監督である。
 
オシムは、いわゆる戦術家ではない。どちらかというと、彼のとる戦術はいつもシンプルだ。
とにかく走ること。
どんな場面でも絶対に足を止めないこと。
指示を待たずに、自分で考えて動くこと。
これだけである。
これ以上には凝った策も、特異な指導法も無い。
では、何故オシムはそれだけで成功を収めることができるのか。他の監督ではなく、オシムだけが持っている処方箋とは何なのか。
それが、この本を読んで、初めてその一端が見えた気がする。
 
弱小だった地元のクラブを、補強無しで常勝チームにまで作りあげた手腕。
オーストリアの中堅クラブを名門と並ぶ強豪に育て上げた手腕。
それは、ドイツ、スペイン、イタリアなどの超名門クラブから監督就任のオファーが舞い込む程のものだ。
その大元となるのは、彼が、「全ての選手を平等に扱う」からではないかと思う。
民族対立の意識が激しかった旧ユーゴスラビアにあって、唯一といっていい、ユーゴ各民族が共存していた都市、サラエボ。
彼はそこで生まれ育ち、監督としての初仕事となる地元のチームの指揮をとった時も、民族による差別をしなかった。
多民族国家ではない日本にとっては、なんだそんなの、当たり前じゃないか、と思うかもしれないが、世界では逆に、民族が同一国家の中で融和している例のほうがずっと少ない。
イギリスは今もサッカー協会が分裂したままだし、スペインは少し前まで、監督の出身地域によって、特定の地域出身の選手だけで代表チームは作られていたのだ。
分裂前のユーゴスラビアもそうだった。セルビア人監督はセルビア人を、クロアチア人監督はクロアチア人を招集して代表チームを構成し、それが何年かおきに持ち回りで各民族順繰りに監督が出るのが習慣だった。
ところが、ユーゴ代表監督に就任したオシムは、セルビア人も、クロアチア人も、スロベニア人も、モンテネグロ人も、ボスニア人も、ムスリムも、平等に実力本位で登用したのである。
これは案の定、各民族のマスメディアからは激しいバッシングを受ける。
「わがクロアチアの○○○を使わないのはなぜだ」
「勝つためにはセルビア人をもっと使うべきだ」
オシムを擁護する声の一切無い中、オシムは、何人だろうと、どんなスター選手だろうと、走らない者は使わない。という自らの信念を貫き続けたのである。
自分が何人だから、ではなく、実力を平等に見てくれる。特徴を見て、適所で使ってくれる。そんなオシムに対して選手が信頼を抱き、オシムもまた、選手のことを冷静な目で見抜く。
そんなユーゴ代表は、’90年W杯はイタリアにPKで敗れたものの、世界最強の攻撃陣と呼ばれるまでに成長したのであった。
 
しかし、民族融和が成功したのは、オシムのチームだけの話だった。
 
独立を求めて、ユーゴ国内では各民族の対立が激化し、内戦が勃発する。
それは試合中のことだった。ハーフタイムにオシムの耳に伝えられたニュースは、セルビア、クロアチア、スロベニア、モンテネグロ、ボスニアら各民族を平等に扱い、理想的なチームを作りあげたオシムにとっては、全てをうち砕かれるようなニュースだった。
 
セルビアが、オシムの故郷サラエボに侵攻した。
 
この内戦で、封鎖されたサラエボに残された妻と連絡すら取れない状況の中、気丈にも今まで通りの方針で指揮を取り続けたが、やはりそれも瓦解する時が来る。各民族の選手たちが、自民族の独立の声のプレッシャーに負けて、ユーゴ代表を辞退し始めたのだ。
この時、ユーゴ代表では自分の理想を貫けないと痛感したオシムは、監督の座を辞任して、オーストリアの中堅クラブの監督に就任する。ここでは、本来は憎い存在ともいえるセルビア人を起用するなど、オシムの懐の深さが見て取れる。事実、そのセルビア人が大活躍し、当時のオーストリアの最強チームとして君臨するのである。
このような、分け隔てなく選手と接するオシムのスタンスは、ビッグクラブからのオファーを固辞する彼のコメントにも色濃く表れている。
 
「大きなクラブを指揮するためには制約がものすごくたくさんある。短い時間で結果を求めてくるし、人気があるスター選手を外したら、監督のほうの首が飛ぶだろう。ジダンやロナウドが間違った動きをしている。全然助けていない。それを指摘できなければ、監督という呼び名は返上すべきだ。」
 
「ジダンやロナウドやベッカムやいろんな人間を集めても、じゃあ彼らのためにいったい誰が走るんだ?だからあそこはスペインでもヨーロッパでもチャンピオンに成れないだろう」
 
「毎日選手と会っているわけだから、毎日、選手から学んでいる。毎日学んでも完全に学ぶことは絶対にありえない。ひとりひとり心理状態は違うし、環境も異なるからだ。実際、観客には絶対に分からないことだが、選手といっても人間だから、奥さんと喧嘩している、両親とうまくいっていない、そういう細かいプライベートの繊細なことがサッカーには影響してくる。練習場に来た時にやる気があるのか、と感じる人間もいる。毎日の中でそんなことを読み取っていく。プライベートの問題については、すべてを知ることはできないけれども、大まかなことは知っておくのも大事だ。
だって、私の仕事はスイカを売ることではなく、そういう生きている人間と接しているわけだから」

そう。彼が接しているのは、サッカーの駒ではなく、一人の人間なのだ。
きっとそれは、分裂前の最後のユーゴ代表監督として、そして、故郷が内戦の戦火に曝された人間として、深い絶望を痛感し、それでいて、そこから萌芽した希望と優しさではないだろうか。きっと彼にとってのサッカーとは、人生の代弁者そのものなのだ。
奇しくも、この本のサブタイトルが語っているではないか。
「フィールドの向こうに人生が見える」――――
 
この本は、その意味で、サッカー本ではない。人生訓であると言っても過言では無いだろう。
サッカーがあまり好きじゃない人にも、いやむしろ、そういう人にこそ読んで欲しい一冊である。
 
最後に、オシムの考え方が最も顕著に表れているエピソードで締めくくろうと思う。
 
常勝ジュビロ磐田相手に、攻勢虚しくドローに終わった試合。
終了間際、ボランチの佐藤勇人が疲労を押してゴール前に詰めていたが、シュートを外してしまう。
試合終了後、とある記者がオシムに向かって、
最後の佐藤のシュートが残念でしたね、
と言ったところ、オシムは答えた。
「シュートは外れる時もある。それよりもあの時間帯に、ボランチがあそこまで走っていたことをなぜ褒めてあげないのか」



Categories: カルチャーの嵐。

眠れる夜の不定理論。

February 16 2006 02:31

それはさほどの問題じゃない。
人はいつだって、頼りたいし、頼られたいし、
それを何らかの理屈で押し殺して生きているからだ。
シュレディンガーの猫のように、
所詮誰かにとっては、自分の存在など証明できないし、
かといって、じゃあ誰の中で、俺という人間は実存の存在と言えるのか、って。
そんな漠然とした不安にいつも苛まれながら今日も生きる。
 
帰ってきた部屋は真っ暗で、誰もいなくて、独りで次の朝を迎えて。
その間、自分の存在は、何だ。
そんな空虚な感覚を塗りつぶすために、誰かとの愛情の機微を求めたりするけど、
それをまた俺の下らない理屈で押し殺して生きている。
 
独りという物理的な距離が生み出す俺の中の絶望。



Categories: 感情。

検定問題。

February 15 2006 03:11

★★★★★だい検定★★★★★
 
【問1】
次の単語のうち、だいの特徴に当てはまるものを全て選べ
 
1.誠実
2.正直
3.温和
4.適当
5.情熱的
6.脳天気
7.理想主義
8.攻撃的
9.単純
10.一本気
11.馬鹿
12.献身



Categories: どうでもいいや。