だいという一個人としての深遠なる疑問。
この前、某件で某嬢と話していて思った某。
世には、定期的な転勤が義務づけられている職というものがあるが。
正直、それはどうなのだろう。
と思うし、
その人生の中や先に何があるのか。
ってのが俺にはわからない。
やっぱりどう考えても俺には、
友人たちとの関係性ってのが何よりも大事で、
で、やっぱそれは、一朝一夕でどうこうなるもんでもないし。
やっぱそういうのって長い時間をかけて紡いでいくものだし。
俺の目指すところは、
最大多数の最大深化。
自分と全く異なった仕事をして、
自分と全く異なった夢を追っているような、
そんな友達を厭くことなくどんどん作っていきたいし、
それも、何らかの繋がりの中で友達面して、
その繋がりが無くなったらはい、さよなら。
ってなもんじゃなく、
よっ、最近どう?なんて、何年も何年も気軽に続いていける、
そんな関係でありたいと思っているし。
そんな大事なことが、
転勤の人生の中で、果たして成っていけるのかな、って。
俺の生活ってのは、
そんな周囲の友人たちのくれるビンビンの刺激によって支えられてる部分が果てしなく大きく。
見知らぬ土地に行って、職場と家の往復。
そんな中で得られる物は何?
例えば2年や3年じゃ、サークルやら何やらで、
友達作り始めて、ようやく形になってきたところで、はい、さよなら。
なんて。
継続的な関係ってのは、
同じ物を共有する、職場の人と、
そんで配偶者。
それだけの中で、いったいどんな風に自分の価値観を広げて、
そんで、どれだけの信頼関係を築いていけば良い?
少なくとも人見知りの俺にはできないなぁ、とは思うわけだ。
職場と配偶者だけという閉鎖された価値観で満足するのは美徳じゃないし、
いくらいろんな土地でたくさんの人と出会おうとも、
それを長い時間をかけて強固に紡いでいかなきゃぁ、
そんなんは袖擦り合っただけの、他生の縁。
昔、誰か大人に聞いた話。
学生の頃の友達が一番続く友達だよ、って。
でも、そんなの、おかしい。
高校や、大学や、そういう時期にできた友達ってのは、
そりゃぁ、3年も4年も顔合わせ続けるわけだし、
その間に強固に築いた関係は、続きやすいとは思うよ。
でも、
社会に出てから新しく知り合った友達だって、
そんなの、条件は、変わらない。
そういう人って、職場と家庭だけの往復になってるんじゃないの?
そりゃぁ仕事もあればさ、
学生の頃のように、新しく知り合った友達としょっちゅう顔合わせて、
ってわけにはいかないかもしれないけど。
でも、それだけが全てじゃない。
せっかく知り合った人と、その縁を大事にしようという、
そんな意識が欠けてるんじゃないの?
方法は、もっと、たくさん、あるよ。
せっかく知り合ったんだから、
3年でも4年でも、長い時間かけて、
バカ言って、くだらない話とか真面目な話とかして、
そんで何年経っても、
「ちょっと今日、飲みに行かない?」
なんてやってたいし、
過ぎ去って移ろいゆくもの、なんて、勿体ないじゃん。
蓄積してかないと、そんなのおかしいじゃん。
取捨選択をするんじゃなく、
一人でも多くの人と知り合って、
そんで、その全てを大事にしていかないと、
きっと俺はバチが当たる。
って考えてるんで。
自分の中で、やっぱ、それが、基幹。
だから、知り合って1年やら2年やら3年やらの人は、
これからも夜露死苦。
それ以上の人は、今まで以上に夜露死苦。
今日は、決め台詞の「愛してくれ!!!」は言わない。
もっと、主体的で能動的なアレ。
ってなわけだ。
転々としている私も同じように考えたことはあります。
でも、転々としてしまっている事実は変わらないので。
そこでどうやって深められるか考えてます。
出会ってからの年数の関係もあるかもしれないけど、
私が信頼しているのは高校時代に出会った人々で、
1年で1回会えるかどうかの人たちばかり。
大学時代の友人も然り。
やっぱり会わないと薄れていくものなのかぁ。
ちょっと寂しくなりました。
とにかく、色々刺激が欲しい時期なので、
来週、とある無料セミナーに参加してきます!!
やっぱり何だかんだ言っても時間って重要だと思うのね。
西弓が今、みんなああいう風にいられるのは、
3年間、かなりの頻度で顔合わせてね、
そんで、卒業した後もちょこちょこ会ったりね、
そういうのの積み重ねだと思う。
逆に言えば、同じ西弓でもやっぱさ、
あんまり顔出さない人とかね、
今もう連絡取れなくなっちゃったりとかね。
やっぱり、相手の、喜びも、悲しみも、たくさん知ってるから、
お互い優しく思えるようになるんだと思うし。
その意味では、現在進行形の喜びや、悲しみや、
そういう諸々のものを、
顔を見て、こうだね、ああだね、
って話せないのはやっぱり、
どうしても関係性が薄れていくのはしょうがないと思うのさ。
一度築いた信頼関係が、
距離という壁で崩れるものではないけど、
一番近くにいた時と比べれば、
やっぱり少し空気の密度の違いってのは、出てくる。
西弓は、3年間、同じものを共有して、
そんで、理解し合えたものがあって、
その後は、引退して、たまにしか会わなくなっても、
会う度に、お互いのことをまた共有して、
そうやって、今でも同じものを共有しながら続いてく。
それが人間関係。
お互いのことを共有する作業ってのが、重要で。
だから、たくさん話して、笑ったり、悩んだり。
どうしても、
時間は必要で、
遠くにいると、なかなかできなくて。
だから俺はここにいて、
ここにいる人たちとたくさんのことを共有して、
遠くに行ってしまった人が、
戻ってこれる場所を作っていたいと思う。
一人たりとも大事じゃない友達なんていないから。
近くでも、遠くでもね。