月別アーカイブ: 8月, 2005
August
31
2005
23:56
運命ってものを否定する人とそうじゃない人がいて。
んで、俺はどっちかっていうと後者で。
だって、運命ってもんは必ず、絶対に、ある。
それ以外の言葉や概念じゃ表現も理解もできない事象って、たくさん、ある。
今、俺はこうやって暮らしていて、そりゃぁ嫌なことだってたくさんあるけど、
総体的に見れば、自分の生きたい生き方をある程度はできている幸せもあって。
で、その幸せってのは、全てが自分で0から作り出したものではなくて、
いろんな人や、物事や、そんな偶然が物凄くたくさん生まれて、そんで。
今までの一つ一つの選択が、何千個も何万個も積み重なって、
そしてそれは自分だけのことじゃなくて、他の地球上の全ての人達の選択とも乗算しあって、
そんで生まれた何千億分の一の確率。
それは、偶然であり、同時に必然なのだと思う。
だって、そうだろう。
あの時、ああいう行動を取らなければ、
そして、相手もそういう行動を取っていなければ出逢えなかった人と人。
そして、ああいう行動を取るためには、その前にこういう行動を取っていなければならなかったわけだし…、っていう無限ループ。
遡れば、俺の生まれた時点、親が出逢った時点、その先祖が~、と結局46億年の歴史。いや、もしかしたらもっとかも。
そんな森羅万象の全てが複雑に絡み合った事象を、運命と呼ばずして何と呼ぼうか。
でももちろん、そんな運命が全てを決めるということじゃなくて、
自分の選択した行動が、他の全てとも相互に影響し合いながら、次の瞬間の未来を変えていくわけで。
一つ一つの出逢いや経験を、自分の中でどのように消化していくか、進取していくか。
あくまでも自分が見据えてる未来像から目を逸らすことなく突き進んでいけば、
運命の作用ってのは、そこに到達するための最短距離。
悩むことや、失望することや、悲しい出来事が自分に降りかかってきても、
それは、それを経験することで自分が自分の行きたい場所へ行ける、そのために必要な経験。
だから、苦しんだりはしても、後悔はしない。
振り返って思い出せる数々の後悔やら何やらは、間違いなく今の俺の糧になっていると実感できるし。
そんなもん。
そんな出来事の全てが運命ならば、じゃあ俺は、その一つ一つ全てを、逃げずに。言い訳もせずに。
んで何よりも、楽天的に。
August
30
2005
22:40
あのコの、過去の、自分の知らない心の歴史に挫けてしまうことって、そりゃぁあるだろう。 でも、その道程が、今という時間に繋がってる。 この瞬間の事実だけに自信を持てばいい。 自信を持てないなら、強く気持ちを伝え合って、 んで一緒に転げ回って、確信してけばいい。 VIDEO
君が昔愛した人 目を閉じて思い出すことがある 時が過ぎていつかきっとそれは美しく輝いてしまう それでも僕たちはたくさんの あふれんばかりの想い出を必ず高く積み上げてみせる 積み上げてみせる 君を愛することは、こんなにつらくて、思いもよらない出来事 僕が昔愛した人 君はきっとそれを恨むだろう 陽が沈む頃、お寺の鐘が町中に鳴り響いて おうちに帰れば僕たちは たくさんのはじけんばかりの想い出を夢の中で繰り返してる 繰り返してみせる (FLYING KIDS「君が昔愛した人」)
Categories: 感情。
August
29
2005
21:33
先日ムーヴを修理に出した時に代車で来たスプリンター。
車の形状から、前後の長さ、シートの高さ、ミラーの形、その他諸々何もかもが違う。何せセダンに乗るのは教習所以来なもんで、視界は悪いわ、車幅は掴めないわでもう散々。
「やばいなー、ムーヴ戻ってくるまで、すっげー慎重に運転しないとなー」なんて思ったりもして。
駐車したらしたで、ムーヴのコラムシフトに慣れきった左手は、あれ?あれ?なんつって、シフトを見つけられないでいるし、左足は、無意識にパーキング踏もうとして、キックが空を切る。そんな始まり。
スプリンターに乗ったのは、たったの8日だった。
電話があったので、ムーヴを工場まで迎えに行き、乗り込む。
あれ?
高い視界は妙に居心地が悪く、駐車した時は、今度は左手が無意識にシートの横を彷徨っていたのだ。
5年連れ添ったムーヴに慣れきった体の無意識の動作も、たった8日間のスプリンター生活で失われたのだ。もちろん、またすぐにムーヴとのタンデムを体は思い出すだろうけども、でも、もしムーヴが返ってこなかったら、俺の体はそのままスプリンター仕様のままだったんだろうなぁ、とも思う。
人間にだって、きっとそれは同じで。
どんなに深い、感情や、熱情や、記憶や、憎悪や、安心感や、不快や、そんなものも、きっと手放せばすぐに、消えてく。
だってほら、昔一緒にいた彼女のことも、頭では覚えているけれども、かつてはきっと、無意識に合わさっていた些細な行動のリズムやそういうものは、もう何も、覚えてない。相手に合わせて無意識にしていたはずのちょっとした行動規範なんかだって、もぅ全然、遠いもので。
きっとそうして、人生は進んでく。男のコは、女のコと出会って、愛して、抱き合ったりフラれたり。そんな無限ループの中で、いろんなことを覚えて、いろんなことを忘れて、そして少しずつ前へ進んでいくんだと思う。
過ぎ去った事は、あくまでも過去の「何か」であって、現在の自分の「何か」では無い。きっといい想い出はいい想い出として、心の中のあったかな部分でひっそりと存在はし続けるけどでも、それは現在の自分の行動やら価値観なんてものとはまた違う次元の場所にあって。で、男のコはまた女のコを愛して、そんでそのコに行動規範やら価値観やら口調やら気の遣い方やらそんなものも、すっと染まってく。それでいーんじゃないかな。
自分なりに、今この時間を真っ正面から向き合って、
で、自分なりの幸福を選択していければ、それでいいと思ってる。
August
28
2005
21:55
自分の行動を選択する時、
きっと意識的にしろ無意識的にしろ、可能性やら確率やらそんなものを計算して、
そんでここはこうしよう。なんて決めるもんだと思うんだが、
その自分の脳内で組み立てられる予測の論理を随分と過信しすぎてはいないか。
だって、考えてみ。
競馬やってたって、これはもぅこの2頭で決まりだろう。なんてレースで、
実際にその通り決まるなんて、何だかんだで6割程度のもんだ。
「これはもうかなりの確率でこうなるだろう」なんて予測は、結局人間の思い込みに過ぎない。
そう簡単に行く先がわかるほど、事象は単純なものでは無い。
結果予測の際に、常識やら、経験やら、理論やら、そんなもんから果てには、
期待やら不安やら抑制やらに至るまで様々なファクターを総動員して、
自分の行動の結果がどうなるかを自分なりに都合良くも悪くも解釈していくわけだが、
そんなたかだか一人の人間の、強烈にバイアスのかかったものを寄ってたかって集めたところで、
それで未来がわかるなら苦労はしない。
何やかんやの素因は、きっと人間が常識的価値観で考えているよりもずっと気まぐれで、
「まぁ9割方こうなるだろう」なんて予測は、所詮期待値込み。
実際にどう転ぶかなんてわかりはしない。
だから、人生の中の諸々の事は、泣いたり、笑ったり。
最終的には、可能性がどうかとか、どうにもならないこと考えてるより、
自分の行きたい方向に、何も計算とか無く踏み出してみるしかないじゃん。
Categories: トンガリ。
August
27
2005
23:40
基本的に、些細な事をこんなもんか、で済ませる性格であるが故に、 いざそこにささやかな憂鬱の芽が生じた時、 無視するもならず、 処理するもならず、 絶対的な自我の崩壊を見るわけだ。 他人からしちゃ、 なんだそんなもん、 といった下らない、ごくありふれた光景であることは、 そりゃぁ頭の中では理解していたところで、 耐性の無い自己内世界において引き起こされた免疫不全症候群の結果は、 卑下、自虐、焦燥、孤独感。 そんな中で、自己内躁鬱を繰り返しながら、 自分の基幹となるレゾンデートルから目をそらしたり、 直近の意図的選択を否定したくなったりもするけど、 例え進むにしても戻るにしても、 自力で諸々の事を変えるなんてできるわけも無い。 結局は自分のいろんな価値観やら衝動やら理性やら、 全てを引っくるめて自分の中の按針が指示してきた道筋。 それをどーのこーのだなんて、全く思い上がりも甚だしい。 自分なんてもんにそんな推進力は無い。 何を望もうと、 何を望まなかろうと、 自分が自分である以上は、最終的には待つしかない。 苦痛や何やらにのたうちまわりながらでも。 踏み越えられるかどうかは、自分次第だ。
Categories: トンガリ。
August
26
2005
23:46
アメとムチ。 なんて言うけど、俺にはそんなん通用しなかったりする。 あー、何やっても上手くいかねーなぁ。 なんて思ったら、すぐさま諦めちゃったりして、 じゃぁ違うルート探そーっと。ってな。 少しずつでも前進してるような、そんな実感とか、 おだてたり褒めそやしたりそんなことが、 「よっしゃいっちょやったるかー」なんつって、 自分で自分にムチ入れ始めるから俺。 他人からのムチなんて、もぅ徹底的にやる気無くなるだけ。 自分の力の入れどこは自分でわかってるつもりでいるし、俺のペースを崩すつもりは無い。 俺のペースが、俺が一番能力を発揮できるペースだってわかってるから。 その代わり、俺のそんなのも含めて丸ごと期待してくれる人には、 誠心誠意全力を込めてその期待に応えさせていただきますので。 与えてくれた分は、っつーか、それを2倍3倍にして返すよ。それだけは約束しよう。 こんな俺に何らかの信頼やら何かを掛けるってのは、要するに人間関係の投資なわけで、 そんならそれは絶対に損させねー。 損させたら、たぶん俺が俺をマヂ許せなくなるから。 そんで、そんな人たちのおかげで俺が成長してるのもわかるから。 感謝と敬意と、俺の自尊心。 三位一体。
Categories: トンガリ。
August
25
2005
22:54
一見意味の無いように見えるものまで含めて、 この26年以上積み重ねた全ての経験や見聞や自己愛や反省は、 マチュピチュの石垣のように一つ一つが複雑に組み合わされて、 そんで少しずつ高く、高く。 今立っている場所から見える景色は、望んでるものとは少し違っていたりもするから、 もちっと高く積み上げて、絶景が見えるまで。 新しいステップのために、 今あるものを想い出に変えよう。
August
24
2005
23:01
言ってしまいたいけど、どうしても言うわけにはいかない言葉。 いくら何でも言っちゃう俺でも、それでもこれだけはどうしても言えない。 ここまできて今さら綺麗事かよ、と思うけれども、 でもそれは自分の中のくだらない美学。 対等な条件で真っ向から正々堂々と勝負したい。 俺のための、俺にしかわからないそんな宣戦布告。
VIDEO
過ぎ去る季節に寂しくなっても、僕らの旅は終わることなく 毎日が疲れる事だけじゃないと、記憶と未来とで証明してみたい 疑わしい僕の声も、君の胸に届けば きっとそこに何かが生まれて、確かな支えになれると思う そう、もっといい笑顔で君なら笑える、保証するよ 僕らはみんな生まれた時には泣いてた (谷口崇「The Song Of Love」)
Categories: トンガリ。
August
23
2005
23:10
きっとそれは必然。
タイミングが遅すぎたとか、いつかの後悔だとか、
そんなのは、今迄の人生の中ですれ違ってきた、
数多くの人に対する失礼と軽視。
一つ一つの経験や喜怒哀楽を踏み越えてきて、
そして今の自分がある。
だから、今迄の自分の道程を信じながら、
現在の自分を包む環境や状況や諸々のことに
自信を持って丸ごと身を委ねていたいのです。
August
22
2005
22:41
普段なら別に何とも思わないような
ちょっとした喜びや悲しみやそんなようなものを
何倍にも増幅したりして
それでひどく落ち込んだりひどく嬉しくなったり
たまには誰かにつらく当たってみたりなんかしたり。
いろんな可能性を計算してる気になってはいるけど
結局答えなんて決まってるわけで
なんかムキになって自分を正当化しようと試みるけど、
最後には最初に戻って堂々巡り。
わかってるのに、心にあるものを素直に受け入れられない、
そんな不可思議で厄介な揺らぎを何と呼ぼう。