カテゴリーアーカイブ: 人はいつも。

左手ラプソディ。

August 06 2007 21:34

26年間住み慣れた前田を離れて、
今の場所に来たのが3年前。
 
何か書類を書く度、
「札幌市手稲区…」
と無意識に動く左手。
そしていつも慌てて書き直す。
 
今日、無意識に左手が書いたのは、
「札幌市東区…」
 
 
 
26年なんざ3年で上書きできる。
 
ならば3年や5年、
そんなもんが何ぼの。
 
 
 
忘却は、人間の持つ最大の美徳。
入れ替わって、立ち替わって、
そんで進む。
 
怖がることは無い。



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部屋とYシャツとリキテンスタインのポップアートの色彩への複雑な感情。

August 04 2007 00:00

Tomorrow is another day
って人は言うけど。
 
どれだけの人が、
明日は今日と全く違う日だって胸を張って言える?
 
表面上はどんなに違う日をふるまっても、
底流は結局いつも鬱々だとか。
そんな輪廻にもがいてた数週間前までの自分。
 
変えるには、
変わるしか、
ねーじゃん。
 
要は意志の問題だ。



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ごっどふぉーせいくん・えびでんす 2 U。

August 02 2007 21:15

蒸し暑い日。
 
人間が、自我の奥底に存する衝動やら激情やらを開放するためには、
それが抑圧された状態でなくてはならない。
 
今そういう脳内世界のインスピレーションが全然湧出してこないのは、
リーセントライフが不満の無い状況なんだろうなと思う。
 
しかしそれは同時に、自分の根元のスポイルでもあるわけで。
 
満足は、
複雑だ。



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非活性的精神世界。陸。

June 27 2007 12:12

価値観ってもんはむつかしい。
 
 
基本的に、人間というものは、
自己の価値観というフィルターを通してしか
物事を見ることはできないので、
自ずとそれぞれに見える像は違ってくるわけだが。
 
まぁ多少の差であれば、想定できる誤差として、
経験則の中で正常な範囲で処理できるわけだが、
そこでフィルターの濾光率が極端に異なる場合、
非常に大きなベクトルのズレが生じたりするわけだ。
 
左45’に向かってるものを、
一方が右135’に向かってると思ってしまえば、
それはゼロ。
磁力というものは、お互い干渉するものなので、
そうなってしまえば、
どんな力も、何もかも無力化。
それは、とても、不幸。
 
 
人間の眼には、外せない価値観のフィルターがついているので、
外そうと思ったって、それは無理なので。
自分のベクトルやスカラーを鈍化させないためには、
眼をつぶるしかない。
 
 
違うものを、自分のフィルターに落とし込むのは無理だし、
それは、自分の可能性に対する冒涜。
眼を瞑って、ありのまま、歩いていくしかない。
 
そうした時に、はじめて、真っ直ぐ立てるって。
そんなもんだ。



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いつかのことを思い出すことを怖れなくなったときに気付いたあの頃の自分の立ち位置について。

June 22 2007 15:54

まだ覚えているいくつかの番号。
どれが誰のものだったかは、覚えてなくて。
 
あれだけ毎晩当たり前のように、
無意識に指がダイヤルを押していても、
過ぎ去れば、
すぐに、
消える。
 
だって人間は、忘れるために生きている。
 
 
だから、
今ある執着も想い出も、
過ぎ去れば、
一瞬。
 
 
怖れる必要はない。



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非活性的精神世界。伍。

June 19 2007 12:46

俺の周囲の親愛なる悩める友人諸氏と、
俺の中の親愛なる悩める俺へ。
 
 
見てて思うのはさ、共通してるのは、
刻々と過ぎる時間と、自分の心とのバランスの崩れによる焦燥。
 
みんな、日々の生活の中でいろいろ鬱積するものがあってさ、
でも、それを漠然とした不満の中で我慢して生きてる。
大人って、そうやって生きるものだよって教えられて、
それを当たり前のように思い込もうとして、
無意識下で泣いたりしてんの、気付いてなかったりとか。
 
そんで、自分はどうすればいいんだろう。
なんて思ったりしてさ、
気ばっかり焦って。そんで。
 
 
でもさ、ホントはそんなの、
ちょっとした視点の問題。
まっすぐいつも通りの視点で、見えない自分の本当の姿。
実はちょっと視点変えてそれを見りゃぁさ、
あぁ、こんなことだったんだ!
って。
 
 
社会常識ってフィルターを通して見りゃさ、
そんなん誰を見ようと一緒で。
 
ホントに何かを見ようとしたら、
どんなフィルターも全部取っ払って、
自分が見たい目で自分見りゃいーじゃんって。
「こうすべきだ」とか、
「こうあるべきだ」とか、
何が正しいだの正しくないだの。
そうすべきじゃなくても、
そうあるべきじゃなくても、
正しくなくても、
でもそれが飾らない自分。
それを否定すんなって。丸ごとお前だそれ。
 
 
人間は不完全だから価値がある。
完璧な常識人なんてロボットと同じだろ。
 
不完全な自分を愛せない奴が、
不完全な他人を愛せるわけねーんだ。
 
 
ありのままの自分ってのに一回立ち戻って、
ホントは俺、何が楽しい?
ホントは俺、何が欲しい?
ホントは俺、何をしたい?
そっからでしょ。
誰が何を言うとか、
みんながどうしてるとか、
そんなことじゃなくて、
誰に何を言われても、
みんなと方向が違っても、
そんでもそんな自分、オリジンじゃん。さいこー。
 
 
悩むのは、
そんなホントの自分を、他人に見せられないからだろ?
みんな一緒だって。
ホントはさ。



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非活性的精神世界。肆。

June 19 2007 08:04

きっとさ、
答えは、絶対自分が知ってる。
 
 
いろいろなしがらみに縛られたり、
喪失を回避しようとしたり、
自己卑下したりとか、
そんな諸々あれやこれやの中でさ、
自分の立ち位置や、進みたい方向が見えなくなって、
自分はもうわからないなんて思ったりすることがあっても。
 
でもさ、
答えは、絶対自分が知ってる。
 
 
喜ぶこと。
悲しむこと。
怒ること。
 
人の顔色窺ったりしねーで、
全部ありのまま出してみ?
自分の奥の奥で押さえつけてねーで、
何倍にも増幅して出してみ?
 
そしたらさ、わかるじゃん。
自分が今何感じてるか。
 
 
それが自分が向いてる方向。
 
その方向にあるのは何?
それが見えりゃさ、答えなんて自明。
 
そして、
どっちへ向かう?



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非活性的精神世界。弐。

June 16 2007 20:35

言ってんじゃん。
 
今の環境の中で最大限。なんての、なんで。
周囲の環境が合わなくてつらいから、
じゃあ自分をそこにうまく当てはめようなんて、
なんだそれ。
 
 
合わない環境に自分を無理やり押し込んで、
無理な形の自分に何ができんのって。
 
今の環境の中でなんとか楽しみを見つけださなきゃ。
って、そんなん美徳でもなんでもねー。
 
10しか楽しみの無い場所でなんとか10見つけだして満足。
ってお前、
100やら1000やらある場所、絶対あんのに、もったいないじゃんってさ。
 
ちょっと勇気出して飛び出してみりゃさ、
そんなとこすぐに見つかるって。
 
 
自分を無理に変えようとする忍耐と比べりゃさ、
環境を変えるちょっとした勇気なんてなんぼの?
 
嫌なものは嫌だし、
いいものはいいんだし。
今の環境を楽しめない自分が悪い、なんて。
悪いわきゃねぇって。
自分は自分であることにこそ価値があるんで、
それを嫌だと思うのもオリジナルな自分なんで、
そのままありのまま嫌がっちまえばいいって。
 
 
そんで自分を最大限自分でいさせられる場所。
 
今いるとこ、よく見てみ?
 
そこか?
 
言い訳したって、
満足かどうかなんて、
ホントは自分がいちばんよく知ってる。



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非活性的精神世界。壱。

June 16 2007 15:49

人に頼ることを否定して生きる人がいて。
 
バカ言ってんじゃねぇ。
できるだけ自分で、なんて、
そんなんムダだからやめとけって。
 
 
人間には苦手な部分もあれば得意な部分もあるし、
それをシェアしながら生きてるわけでさ。
 
苦手なことを無理に自分でやろうとして、
そんで得意なトコやる労力無くなってりゃぁ、
そんなん本末転倒。
 
 
それをさ、
他人に頼らず自分で全部その場に直立できるのが格好いいなんて、勘違いも甚だしい。
 
だってそうじゃん。
現代社会に生きてる以上は、
どうやったって自己完結なんて不可能なわけだし。
 
農作物作る人がいて、
工業製品作る人がいて、
大工さんがいて、
そんで俺らの生活は成り立ってる。
 
家で雨露しのいで、
ごはん食べて、
TV見て、
そうやって生活してんのにさ、
身の回りのことは、
「人に頼らずに~」なんて、
なんだよその近視眼。
 
 
苦手なこと無理してるヒマあったら、
ハナっからがっつり頼っちまえばいーじゃん。
みっともねーことでも何でもなくてさ、
そのぶん自分の得意なトコを、苦手な人に頼られてきゃぁ、そんなんイーブン。
 
何が不満さ?
 
 
俺には俺の役割。
お前にはお前の役割。
あいつにはあいつの役割。
あのコにはあのコの役割。
 
背伸びしたってしょーがねぇじゃん。
 
 
人間は、甘えるために生きていて、
人間は、甘えられるために生きている。
 
向いてるほう、やりな。



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最後の挨拶。

June 12 2007 01:33

こんばんぁ。
最近とみに大人気の好青年です。
 
自称です。
 
 
 
さて、ワタクシ、思うわけであります。
生きるということは、何故にかくも波瀾万丈なものかと。
 
明日はどっちだ。と尾藤イサオも言いました。
あぁ無情。とジャンバルジャンも言いました。ついでにアン・ルイスも言っております。たぶんミュージ君も。
 
ともかく、
物事の先のことなぞ、全く予測のつかないものであります。
一寸先は闇。という言葉がありますが、
その闇を抜けると光がある場合もあります。
そんなもんは交互に繰り返す。
陽はまたのぼりくりかえす。
つまり何が言いたいかというと、
生き急ぐとしてもかまわないということです。そうなんです。
 
 
俺の周囲でも、
耳から蝸牛が出そうなくらい悩みに悩んでいる人もいます。
悩むのは大事なことです。
悩まない恋はない!という曲もありましたが、
もう恋なんてしないなんて言っちゃう俺にはとりあえず無関係。
閑話休題。
悩むことは大事なことです。さっきも言った。
でも、悩む先に解決があるとは限らないし、
一見解決に見えることが、本当に解決とは限らないのです。
 
悩めば悩むほど、頭の中はその悩みの対象だけに絞られていきます。
そうすると、その範囲内の最善策が、解決であるかのように錯覚します。
しかし、はたしてそれが本当に最善なのか?
その悩み自体の対象自体を捨てちゃうという選択肢は無いのか?
そこに後ろ髪は引かれながらも、背を向けて視界を変えてしまうことのほうが、自分の中で結局大きなプラスになる場合もあります。
人間の悩みの元は、
「既得権益」と「自己卑下」と「リスク回避」なのではないかと思うわけです。
 
 
箱の大きさには限りがあり、
人の抱えられる容量にも限りがあるわけで。
何か大きなものを得るために、
何か大きなものを失うのは当然のことです。
 
大きいけど、自分に向いていないもの、
それをただ「箱に入っているから」「大きいから」
とかいう理由で大事にしていないでしょうか。
それを箱から出す作業は、手間がかかります。
一度箱を空にしなければならないので、
その次のものが手に入るか、箱に入るか不安もあるでしょう。
でも、そうやって、大きくて、もっと自分に合うもの、
その入れ替え作業を繰り返していくことこそが、
生きるということの本質なのではないでしょうか。
と思うわけですハイ。
 
 
最初こんな内容書くつもりじゃなかったのに、
気付いたらこんな内容になってたわけで、
これはもぅとりあえずこういうものとして、
退屈だったらボトムズでも観るからいーや。くらいの気持ちで。
夜露死虎。
 
 
ちなみにタイトルは関係ない。本文と関係ない。



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