最後の挨拶。
こんばんぁ。
最近とみに大人気の好青年です。
自称です。
さて、ワタクシ、思うわけであります。
生きるということは、何故にかくも波瀾万丈なものかと。
明日はどっちだ。と尾藤イサオも言いました。
あぁ無情。とジャンバルジャンも言いました。ついでにアン・ルイスも言っております。たぶんミュージ君も。
ともかく、
物事の先のことなぞ、全く予測のつかないものであります。
一寸先は闇。という言葉がありますが、
その闇を抜けると光がある場合もあります。
そんなもんは交互に繰り返す。
陽はまたのぼりくりかえす。
つまり何が言いたいかというと、
生き急ぐとしてもかまわないということです。そうなんです。
俺の周囲でも、
耳から蝸牛が出そうなくらい悩みに悩んでいる人もいます。
悩むのは大事なことです。
悩まない恋はない!という曲もありましたが、
もう恋なんてしないなんて言っちゃう俺にはとりあえず無関係。
閑話休題。
悩むことは大事なことです。さっきも言った。
でも、悩む先に解決があるとは限らないし、
一見解決に見えることが、本当に解決とは限らないのです。
悩めば悩むほど、頭の中はその悩みの対象だけに絞られていきます。
そうすると、その範囲内の最善策が、解決であるかのように錯覚します。
しかし、はたしてそれが本当に最善なのか?
その悩み自体の対象自体を捨てちゃうという選択肢は無いのか?
そこに後ろ髪は引かれながらも、背を向けて視界を変えてしまうことのほうが、自分の中で結局大きなプラスになる場合もあります。
人間の悩みの元は、
「既得権益」と「自己卑下」と「リスク回避」なのではないかと思うわけです。
箱の大きさには限りがあり、
人の抱えられる容量にも限りがあるわけで。
何か大きなものを得るために、
何か大きなものを失うのは当然のことです。
大きいけど、自分に向いていないもの、
それをただ「箱に入っているから」「大きいから」
とかいう理由で大事にしていないでしょうか。
それを箱から出す作業は、手間がかかります。
一度箱を空にしなければならないので、
その次のものが手に入るか、箱に入るか不安もあるでしょう。
でも、そうやって、大きくて、もっと自分に合うもの、
その入れ替え作業を繰り返していくことこそが、
生きるということの本質なのではないでしょうか。
と思うわけですハイ。
最初こんな内容書くつもりじゃなかったのに、
気付いたらこんな内容になってたわけで、
これはもぅとりあえずこういうものとして、
退屈だったらボトムズでも観るからいーや。くらいの気持ちで。
夜露死虎。
ちなみにタイトルは関係ない。本文と関係ない。
おれも耳のなかを和田勉が駆け抜けるくらい(by ゲーム帝国)悩んでいる。そのみっつのなかでは「リスク回避」が原因だな。「うまくゆく恋なんて恋じゃない」と唄ったのは若いときのチャーだったか。
恋で悩むな!
人生で悩め!
というのは俺の名言だ。
自分が自分として生きてれば恋なんて無くても問題無い!
ということを島本先生から学んだ男です。
悩むことってあんまりないなぁ…おちること・考えることはあるけどネ!
基本自分が抱えられる範囲のことしか考えないんで。だから私悩んで人に相談することはありません……(・ω・)
この日記見てなるほど~と思いますた!
箱の中身を入れかえるのか……
私自分の箱の大きさを変えようとつねづね思っており、五年前よりも三倍くらいの大きさになったよタブン…☆
悩まないのがいちばん!
俺もあんまり悩まないタイプだけど、悩んだら深いぜフッ…
そう!箱の中身が問題なの!
入れ替えする手間を嫌がって「これで満足しとくかー」なんつったら、今のまま全部終わっちまう。
同じ入ってるなら、いいもののほうがいいもんなー。っていう。