非活性的精神世界。伍。
俺の周囲の親愛なる悩める友人諸氏と、
俺の中の親愛なる悩める俺へ。
見てて思うのはさ、共通してるのは、
刻々と過ぎる時間と、自分の心とのバランスの崩れによる焦燥。
みんな、日々の生活の中でいろいろ鬱積するものがあってさ、
でも、それを漠然とした不満の中で我慢して生きてる。
大人って、そうやって生きるものだよって教えられて、
それを当たり前のように思い込もうとして、
無意識下で泣いたりしてんの、気付いてなかったりとか。
そんで、自分はどうすればいいんだろう。
なんて思ったりしてさ、
気ばっかり焦って。そんで。
でもさ、ホントはそんなの、
ちょっとした視点の問題。
まっすぐいつも通りの視点で、見えない自分の本当の姿。
実はちょっと視点変えてそれを見りゃぁさ、
あぁ、こんなことだったんだ!
って。
社会常識ってフィルターを通して見りゃさ、
そんなん誰を見ようと一緒で。
ホントに何かを見ようとしたら、
どんなフィルターも全部取っ払って、
自分が見たい目で自分見りゃいーじゃんって。
「こうすべきだ」とか、
「こうあるべきだ」とか、
何が正しいだの正しくないだの。
そうすべきじゃなくても、
そうあるべきじゃなくても、
正しくなくても、
でもそれが飾らない自分。
それを否定すんなって。丸ごとお前だそれ。
人間は不完全だから価値がある。
完璧な常識人なんてロボットと同じだろ。
不完全な自分を愛せない奴が、
不完全な他人を愛せるわけねーんだ。
ありのままの自分ってのに一回立ち戻って、
ホントは俺、何が楽しい?
ホントは俺、何が欲しい?
ホントは俺、何をしたい?
そっからでしょ。
誰が何を言うとか、
みんながどうしてるとか、
そんなことじゃなくて、
誰に何を言われても、
みんなと方向が違っても、
そんでもそんな自分、オリジンじゃん。さいこー。
悩むのは、
そんなホントの自分を、他人に見せられないからだろ?
みんな一緒だって。
ホントはさ。
ホントの自分、見せるのは怖いよ。
だから無理にでも強がって、平気なフリして。じゃないと自分が潰れる気する。
ホントの自分を見せても受け入れてくれる。
そんな人いればいいのにって思う。
友達の前とか職場とか、いろんな自分がいて、どれが本当の自分かわからなくなるよ…。
すっげーわかるよ。だって、俺もそうだもん。
でもさ、怖がんなって。
でもさ、強がんなって。
俺とか33木とかるったんとかひなとか、
あ、あといとうさんとか…(謎)、
友達ってそのためんにいんだから。
がっつり寄り掛かってこいって。
ありのままのリアルなポンデ子、
たぶんポンデ子が思ってるより、みんな、大好きだぜ?
悲しい時、悩んだ時、がっつり出してさ、寄り掛かってくりゃぁ、
こっちもそんな時がっつり寄り掛かるしさぁ、
そんなもんだから。な?
一人で背負ってる荷物を降ろした時に、ホントの自分が見える。