カテゴリーアーカイブ: トンガリ。

ラジオゾンデ911。

September 04 2005 21:11

俺が俺であるということの総まとめを徒然と考える。
 
結局、向いてない真面目モードで一喜一憂ばかりで、
時に自信過剰で強引に。
時に自信喪失でくずおれて。
いいことも悪いことも全部ひっくるめて余計なこと考えたり、考えなかったり。
何だそれ。
 
そんなんでいろんなこと見失って、前に進む足の勢い失くしちゃったり。
そんなんでいーわけねーじゃん。
俺が俺らしくいるっていうのは、
きっともっと素軽いスタンスで、
きっともっとバカみてーにやってることだったんじゃねーの?
それを変に先々考えたり、
伏線張ったり、
結果ばっか求めちゃったり、
そんな。
 
それでうまくいかなきゃえーんしくしく。
なんてバッカじゃねーの俺。って思うし。
卑近な欲とか、ちょっとした充足感とか、
そんなんで自分のホントに行く道見失うとかそういうのって何。
俺には限りない選択肢が有り、
そのどれを選んだら俺にとって良い。だなんて、
そんなもんこと人間相手にしちゃぁ、考えるだけ無駄だ。
俺にそんなもんがわかるほど、わかった人間なのかよ、って。
特別な小細工を弄する必要は無い。
それは俺のやり方じゃない。
 
もっと身軽に、ダメならダメ、それでいーじゃん。
っていう基礎的なことをもう一度、最初から。
さぁ来るもんは来やがれ!なら全力でこっちも相手してやる!なんて、そんなスタンス取り戻そうぜ。



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クラムジー・フレンジー。

August 28 2005 21:55

自分の行動を選択する時、
きっと意識的にしろ無意識的にしろ、可能性やら確率やらそんなものを計算して、
そんでここはこうしよう。なんて決めるもんだと思うんだが、
その自分の脳内で組み立てられる予測の論理を随分と過信しすぎてはいないか。
 
だって、考えてみ。
競馬やってたって、これはもぅこの2頭で決まりだろう。なんてレースで、
実際にその通り決まるなんて、何だかんだで6割程度のもんだ。
「これはもうかなりの確率でこうなるだろう」なんて予測は、結局人間の思い込みに過ぎない。
そう簡単に行く先がわかるほど、事象は単純なものでは無い。
 
結果予測の際に、常識やら、経験やら、理論やら、そんなもんから果てには、
期待やら不安やら抑制やらに至るまで様々なファクターを総動員して、
自分の行動の結果がどうなるかを自分なりに都合良くも悪くも解釈していくわけだが、
そんなたかだか一人の人間の、強烈にバイアスのかかったものを寄ってたかって集めたところで、
それで未来がわかるなら苦労はしない。
何やかんやの素因は、きっと人間が常識的価値観で考えているよりもずっと気まぐれで、
「まぁ9割方こうなるだろう」なんて予測は、所詮期待値込み。
実際にどう転ぶかなんてわかりはしない。
だから、人生の中の諸々の事は、泣いたり、笑ったり。
 
最終的には、可能性がどうかとか、どうにもならないこと考えてるより、
自分の行きたい方向に、何も計算とか無く踏み出してみるしかないじゃん。



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精神の圧倒的な不安定をどうするかという問題について。

August 27 2005 23:40

基本的に、些細な事をこんなもんか、で済ませる性格であるが故に、
いざそこにささやかな憂鬱の芽が生じた時、
無視するもならず、
処理するもならず、
絶対的な自我の崩壊を見るわけだ。
 
他人からしちゃ、
なんだそんなもん、
といった下らない、ごくありふれた光景であることは、
そりゃぁ頭の中では理解していたところで、
耐性の無い自己内世界において引き起こされた免疫不全症候群の結果は、
卑下、自虐、焦燥、孤独感。
 
そんな中で、自己内躁鬱を繰り返しながら、
自分の基幹となるレゾンデートルから目をそらしたり、
直近の意図的選択を否定したくなったりもするけど、
例え進むにしても戻るにしても、
自力で諸々の事を変えるなんてできるわけも無い。
結局は自分のいろんな価値観やら衝動やら理性やら、
全てを引っくるめて自分の中の按針が指示してきた道筋。
それをどーのこーのだなんて、全く思い上がりも甚だしい。
自分なんてもんにそんな推進力は無い。
 
何を望もうと、
何を望まなかろうと、
自分が自分である以上は、最終的には待つしかない。
苦痛や何やらにのたうちまわりながらでも。
 
踏み越えられるかどうかは、自分次第だ。



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公会議。

August 26 2005 23:46

アメとムチ。
なんて言うけど、俺にはそんなん通用しなかったりする。
 
あー、何やっても上手くいかねーなぁ。
なんて思ったら、すぐさま諦めちゃったりして、
じゃぁ違うルート探そーっと。ってな。
 
少しずつでも前進してるような、そんな実感とか、
おだてたり褒めそやしたりそんなことが、
「よっしゃいっちょやったるかー」なんつって、
自分で自分にムチ入れ始めるから俺。
他人からのムチなんて、もぅ徹底的にやる気無くなるだけ。
自分の力の入れどこは自分でわかってるつもりでいるし、俺のペースを崩すつもりは無い。
俺のペースが、俺が一番能力を発揮できるペースだってわかってるから。
 
その代わり、俺のそんなのも含めて丸ごと期待してくれる人には、
誠心誠意全力を込めてその期待に応えさせていただきますので。
与えてくれた分は、っつーか、それを2倍3倍にして返すよ。それだけは約束しよう。
こんな俺に何らかの信頼やら何かを掛けるってのは、要するに人間関係の投資なわけで、
そんならそれは絶対に損させねー。
損させたら、たぶん俺が俺をマヂ許せなくなるから。
そんで、そんな人たちのおかげで俺が成長してるのもわかるから。
 
感謝と敬意と、俺の自尊心。
三位一体。



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オシリスの天秤。

August 24 2005 23:01

言ってしまいたいけど、どうしても言うわけにはいかない言葉。
いくら何でも言っちゃう俺でも、それでもこれだけはどうしても言えない。
ここまできて今さら綺麗事かよ、と思うけれども、
でもそれは自分の中のくだらない美学。
対等な条件で真っ向から正々堂々と勝負したい。
俺のための、俺にしかわからないそんな宣戦布告。
 
 
 

過ぎ去る季節に寂しくなっても、僕らの旅は終わることなく
毎日が疲れる事だけじゃないと、記憶と未来とで証明してみたい
 
疑わしい僕の声も、君の胸に届けば
きっとそこに何かが生まれて、確かな支えになれると思う
そう、もっといい笑顔で君なら笑える、保証するよ
僕らはみんな生まれた時には泣いてた
(谷口崇「The Song Of Love」)  



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俺内テロル。

August 21 2005 21:43

自信なんてそーいつもいつもあるわけじゃねー。
でもさ、そんなん言って腰引けてしょぼーん、なんてしゃーねぇんだし、
悪いほう考えちゃう心無理矢理奮い立たせて、
パンパン、なんつって自分の頬張ってさ、
目見開いてやったるぞー!なんてやるしかないから。
 
心の奥ではひーん、どうしよう。なんて弱気だったりもするけど、
でも、強気に宣戦布告なんてしちゃって、
自分を後戻りできない状況に置いて、
んで、やればできゅるー!なんて過信してやらせてもらうから。
 
何だかんだで、俺なんてもぅ弱いもんで、
あーダメだぁ、なんて一喜一憂、
悲観する心が後から後から湧いてくることもあるから、
まず形や言葉というアプローチでもいいから、
そんな弱気を絨毯爆撃して、アハハ。なんて笑ってみせようじゃねーの。
 
 
他人に弱いトコ見せるのは平気だけど、
自分に弱いトコ見せて生きていたくはない。



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“E”nergy。

August 20 2005 19:01

客観的・冷静に考えれば、どう考えても恥ずかしいというか、みっともないことをたくさん言ったと思う。余計なことまでたくさん。
んでそれが悪い状況を生み出す一面があることも自分でわかっているし。
 
でもいーの。
バカでいーから、思ってることは全部言おうって。
それが与える諸々の影響とか、
そんなん頭では理解してるけど、気にしちゃいられない。
思ってること言えなくて後悔したこと何度もあるから、
もう嫌だからさそんなの。
 
それで自分が恥かいたり、傷ついたり、
そんなんで受ける傷なんて一時的なもの。
いろんなしがらみ考えたりして思いっきり衝動に身を任せたりできないなんて、
それで俺がする後悔って、目に見えてるから。
 
論理的に考えて、それがどんな種類の衝動かなんてどーでもいい。
深く考えて自分の中で決めたことじゃなくていいんだ俺は。
新鮮さとか、感動とか、
そういう類の外部刺激が俺に与えた衝動は一過性のものに見えるかもしれないけれども、
でも人間なんだから絶対にそんな衝動は当たり前だし否定できないし。
俺は、そんな衝動を丸ごと抱え込んじゃって、
そんでもってそれをずっと新鮮なまま維持してく、
そんな努力はできるつもりだし、自信だって、ある。
 
すごく諸方面に迷惑をかけたりしながら、
俺はそれでも自分の心の些細な動きもアンプで増幅するように大きく大きく発信し続けて、
ホントに申し訳ないけど、でもそれはやめない。
自分の中で芽生えた些細な揺らぎを、楽しみ尽くさなきゃ勿体ない。
それが無ければ、人生なんて、
大きな感動や悦びや悲しみも無く、終わってくのかな、と思うし。
 
そんな俺の我が儘から生まれた発言の数々、
たとい不快に思ったりなんだったりしたとしても、
そこは御容赦願いたく。
思ったことをまるまる口に出しちまう直情馬鹿には、
様々な感動や何やらを次々と与えてくれる現在の状況が、
あり得ないくらい心地良く、
受容しきれなくなりそうなくらいエナジーとなっているのです。



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俺のカルティベイト。

August 17 2005 22:21

脳内哲学月間も後半戦である。
休みがあったこともあり、いろいろ考えて、いろいろ書き散らして、んで気付いた。
 
やっぱ俺はこういう生き方しかできねー。
自分のペース崩せねーし、協調性ねーし、
はっきり言って他人に迷惑かけまくりだ。
それはわかっちゃいるし、申し訳ないとも思うんだが、
だからって自分の生き方や行動規範を変えれるほど器用でもねーし。
 
そんな俺のバカな生き方を、ほとんどの人は冷ややかな目で見てるだろうし、
さもなければ心配してるかもしれない。
でもまぁ、それがどんな結果もたらすか、
良いほうも悪いほうも見えてるつもりではいるから。
そんで、その上で選んだ俺の価値観だからさ。
悪いほうに出りゃ、それはそれでしゃーない。責任は自分で取るし。
 
こうしたらどうなる、なんてさ、
まぁ9割方こうなるだろう。なんて常識的な予測の範囲で行動するのもいいけど、
わかったうえで残り1割に賭けてみたっていーじゃん。
成功したら、もちろんそりゃぁ、どうだ見たことか!
で、失敗したらしたで、アハハ、やっぱこうなったか!
なんて、どっち転んでも笑って受け入れるから。
その覚悟くらいは、いつだって、ある。
 
究極的なこと言えば、
まぁ人間なんてどうやったって生きていくくらいはできるさ。
って思ってるから、
やっぱまずは自分が自分であることを大切にしたいからさ。
他人のために人生生きてるわけじゃないし、
俺が俺で満足できりゃそれでいい。
 
生きてることこそが一番の苦しみ、なんて仏教概念あるけど、
いちいち周りのこととか先のことなんか気にしてたら、ホントにそうなっちまうから。
毎日いくつも迫られる、行動1つ1つの選択全てが、
自分の理想の生き方を追究するための分岐点。
全部を自分らしく行くことで、すっげー楽しんでるからさ。
そのために、面倒くさいことなんか気にしてらんない。
 
全ての人が見離しても、それでもやっぱ変えられないもの。



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衝動の勇気。

August 14 2005 23:11

人生の中の諸々のことなんて、ちょっとしたタイミングのズレで、いいほう行ったり、悪いほう行ったり。
どーしよぅもないこととか、やっぱ環境的にあるわけだし、そこでどーこーなんて、そりゃぁ簡単に考えるわけにはいかねーけど。でもまぁ、タイミング悪い中で、自分がこれ!って思える選択肢を選ぶにはいろいろと不利益を生じることがあるとしても、それでも、これ!って思ったその気持ちだけは大切にしなきゃいけない。それは誤魔化すことは許されない自分の中のきっと核になる衝動。
だから、ちょっとやそっとの障碍なんてぶっち切っちまって、目つぶっちまって、んで、恥ずかしいのやら不安なのやら申し訳無いのやら全部一回リセットしちまって、えいや!なんつって、自分だけのために一歩大きく踏みだしちまってもいーんじゃねーの?後のことを考えてもしょーがない。後のことを考えるのは、目の前の物をちゃんと全力で見れてない証拠だから。
ウダウダ考えてるより、走り出してから見えるものなんて、たくさん。



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リセット。

August 13 2005 18:13

忙しかったり、嫌なことだったり。そういう日常の中で忘れかけていたこと。
俺が俺であること。そして、俺の目指す俺であるためにすべきこと。
しがらみの中で自分を主観的にも客観的にも見れなくなって、右往左往している、そんな時に、俺に対する期待であるとか、イメージであるとか、そんなことをぶつけてくれることこそが、俺にとってはかけがえのない道標。
もう一回、底無しのバカに戻って、やってみよう。一歩を踏み出し直そう。過信しすぎるくらいに自信を持ち直して、まだまだ行けるんだ俺は。
 
きっと、そんな単純な事を気付かせてくれるたくさんの人々のおかげで、俺は俺でいられる。今までも。今も。これからも。
感謝は、いずれ何らかの形で何百倍にもして返すつもりだから、しばし待っててくれ関係者諸氏!



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