精神の圧倒的な不安定をどうするかという問題について。

August 27 2005 23:40

基本的に、些細な事をこんなもんか、で済ませる性格であるが故に、
いざそこにささやかな憂鬱の芽が生じた時、
無視するもならず、
処理するもならず、
絶対的な自我の崩壊を見るわけだ。
 
他人からしちゃ、
なんだそんなもん、
といった下らない、ごくありふれた光景であることは、
そりゃぁ頭の中では理解していたところで、
耐性の無い自己内世界において引き起こされた免疫不全症候群の結果は、
卑下、自虐、焦燥、孤独感。
 
そんな中で、自己内躁鬱を繰り返しながら、
自分の基幹となるレゾンデートルから目をそらしたり、
直近の意図的選択を否定したくなったりもするけど、
例え進むにしても戻るにしても、
自力で諸々の事を変えるなんてできるわけも無い。
結局は自分のいろんな価値観やら衝動やら理性やら、
全てを引っくるめて自分の中の按針が指示してきた道筋。
それをどーのこーのだなんて、全く思い上がりも甚だしい。
自分なんてもんにそんな推進力は無い。
 
何を望もうと、
何を望まなかろうと、
自分が自分である以上は、最終的には待つしかない。
苦痛や何やらにのたうちまわりながらでも。
 
踏み越えられるかどうかは、自分次第だ。


Categories: トンガリ。

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