クラムジー・フレンジー。

August 28 2005 21:55

自分の行動を選択する時、
きっと意識的にしろ無意識的にしろ、可能性やら確率やらそんなものを計算して、
そんでここはこうしよう。なんて決めるもんだと思うんだが、
その自分の脳内で組み立てられる予測の論理を随分と過信しすぎてはいないか。
 
だって、考えてみ。
競馬やってたって、これはもぅこの2頭で決まりだろう。なんてレースで、
実際にその通り決まるなんて、何だかんだで6割程度のもんだ。
「これはもうかなりの確率でこうなるだろう」なんて予測は、結局人間の思い込みに過ぎない。
そう簡単に行く先がわかるほど、事象は単純なものでは無い。
 
結果予測の際に、常識やら、経験やら、理論やら、そんなもんから果てには、
期待やら不安やら抑制やらに至るまで様々なファクターを総動員して、
自分の行動の結果がどうなるかを自分なりに都合良くも悪くも解釈していくわけだが、
そんなたかだか一人の人間の、強烈にバイアスのかかったものを寄ってたかって集めたところで、
それで未来がわかるなら苦労はしない。
何やかんやの素因は、きっと人間が常識的価値観で考えているよりもずっと気まぐれで、
「まぁ9割方こうなるだろう」なんて予測は、所詮期待値込み。
実際にどう転ぶかなんてわかりはしない。
だから、人生の中の諸々の事は、泣いたり、笑ったり。
 
最終的には、可能性がどうかとか、どうにもならないこと考えてるより、
自分の行きたい方向に、何も計算とか無く踏み出してみるしかないじゃん。


Categories: トンガリ。

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