カテゴリーアーカイブ: 人はいつも。
May
18
2012
16:38
自分が弱い人間だとか、
そんなんでおむずかりになる人がいて。
人間なんて、みんな弱いんだぜ。
って言っても、
いいや、自分は人よりこれができない、あれができない、とか。
でもさ、
ゲームってさ、
難しいから、
面白いじゃん?
難しいから、
やりこむじゃん?
一回や二回でクリアできるようなんだったら、
あー、終わった終わった。
なんつって、
少し経ったら、
クリアはしたけど、どんなだっけ?
って、
そんな。
だから、
これができないってのはさ、
そのぶんだけ、
いっぱい楽しめるんだぜって。
そう思ってたら、
いいね、
人生楽しめる人は、って、
そう言われたりもしたけど、
俺が楽しいのは、
俺が、
何もできなくて、
クソで、ミソで、
そんなだから、
な気がするわけで。
最初からイオナズンが使えたら、
うぁー、カンダタ強ぇ!もちっとレベル上げてくか。
なんて楽しみ、
無くなっちゃうじゃん?
何でも持ってて、
何でもできる人なんていたら、
決められたストーリーを、苦労もなくただ淡々とこなすしか無いんだぜ。
自分で、
自分のお得感を作り出せ。
何も持っていないならば、
何かを持つスペースが残されてるということだ。
May
17
2012
12:55
言葉というものが何故か昔から大好きで。
言葉というものが、
人間と人間が意思を疎通するために作られたものである以上、
言葉をコントロールするということは、
意思の他人との回路の開き方をコントロールすることに他ならない。
開いたり、
閉じたり、
開き方を変えたり。
ちょっとした匙加減一つで、
その後の景色が大きく変わる水門みたいな。
だから、
言葉遊びは面白い。
言葉を大事に使ったり、
わざと雑にしてみたり、
言葉を楽しんで使うのは、素敵だ。
意図の無い言葉なんて、
回収されない感情と同じ。
窓を開けていたら車から飛ばされて行ったコンビニの袋みたいに、
一瞬気に留めても、5分もすりゃぁ忘れる。
飛ばされるのと、
わざと飛ばすのは、
大きく違う。
人間にとって、
周りの景色をいちばん簡単に変えられるメソッド。
楽しまなきゃ勿体ない。
May
14
2012
11:04
人間は、常に責任を取るために生きている。
齢を重ねる程に、責任も積み重なっていって、
そんで、
あちこちで、
いろいろの、
あれこれだったり、
なんだかんだあるけど。
でも、
人間には、
責任を取る義務以上に、
責任を取る権利がある。
自分の、
言葉や、
行動や、
自分が表面に出した一個一個のもの。
それらに、
それなりの覚悟が無きゃぁ、
そんな人生は面白くないじゃん。
言葉も、
行動も、
全部が全部、
俺が、
俺はこうだ!
って、
決めたこと。
適当だって、
悪ノリだって、
何もかもが、
俺はこうだ!
って、
決めたこと。
タンマ!今の無しね!
なんて思ってんだったら、
リセットすりゃぁいいやぁ。
なんつって、
適当にやってるロープレと変わんねぇ。
自分の全てに覚悟を決めるから、
だから毎日が楽しいじゃん?
とか、そーゆー。
遊ぶのも、
笑うのも、
転がるのも、
逆さになるのも、
全部、後悔しないように、覚悟を決めたら、
思い切ろうって。
全責任を自分が取る。
なんて最高の愉悦。
ゲームよりも、
ずっと面白ぇ。
人間は、常に責任を取るために生きている。
だからこそ、
価値がある。
March
07
2012
14:15
人間が、
寝てる間以外も自由に眼をつぶれるのは、
見たくないものを見ないためなんだぜ。
見たいものをたっぷり堪能して、
見たくないものには目をつぶる。
それは良くない、
って人もいるけど、
どうしてさ。
人間の眼が、何かを見ないことができて、
人間の脳が、何かを考えないことができるようになってんのは、
きっとそれなりに意味がある。
どうせ現実というものがこの身体に縛りついているのなら、
今、見たくないものに、
今、眼をつぶったって、
別にいいじゃない?
人間は他の動物に比べて、
まばたきの数が多いんだってさ。
見たくないものだらけの世界?
見たいものをたっぷり堪能して、
見たくないものには目をつぶる。
同じ人間なら、踊らにゃ損。
それは良くない、
って言われたら、
じゃあ、
どうだったら、
良いんだい?
って。
って。
誰かがストイックになって、
得をするのはだぁれ?
February
19
2012
22:07
「やさしいひと」になりたい。
そう思ってた頃があった。
周りの人たちの、
言動とかナンヤラとか、
同じものに対しても、
意地悪とか、
嫉妬とか、
嘲笑とか、
ついついそんなものを持ってしまう自分と違って、
親切で、
優しくて、
無私な姿は、
自分にとってすごくコンプレックスで、
中学校のときも、
高校のときも、
20歳になっても、
ずっとずっと引け目を感じていた。
でもさ、
いつからか、
肩肘張って、自分が強いみたいな虚勢張るのに疲れちゃって、
意地悪で、
嫉妬して、
弱い自分でもまぁいいか、
と思うようになって、
それから、少なくとも引け目は感じなくなったかなぁと思う。
弱い自分だから、
みんなにいつも支えてもらって、
んで、さんきゅって思うから、
甘えちゃって、
弱いままでもいっか、
ってずっとそうやってるのも、
ホントはどうなのかと自問自答する部分はあるけど、
きっと人間なんて、
無理に強くなろうと思ったらさ、
どっかに無理がかかってバランス崩れちまうからさ。
自分の中のいろんな醜い感情とか抑えてさ、
さも自分が心から思ってるかのようにやさしく振る舞うのは、
それは違うかな、って思うから、
だから、
意地悪やら嫉妬やらナンヤラも、
思ったら全部まんま口に出しちまおうって。
そう思ってんだ俺、って。
そしたらけっこう笑い話で、
どーでもよくなったり、すんだ。
だからさ、
もしさ、
自分がやさしくなかったりするんだったらさ、
そんなことで泣いたり悩んだりしなくていいんだよって。
本人でもいい、
第三者でもいい、
弱くて醜い自分を、まるまる飾らないで口にしてほしいなぁって。
そしたらさ、
いろんなことが、
まぁ、そんなもんか、
って、
なんだぜ。
うん。
なんだぜ。
俺もさ、
ずっとさ、
それをしてこなくて、
なんだ俺、この野郎。
って思ってきたからさ、
少しはさ、
わかるはつもりではいるんだぜって。
「やさしいひと」にはなれないけど、
「深刻に考えないひと」にはなれたから(笑、
弱いのをさらけ出すことは、
別に恥ずかしくなんてないと、
今では思うからさ。
何でも、
言ってくれりゃいいのに。
って。
美的感覚の研究によれば、
完全なシンメトリーって、美しさを感じないんだってさ。
そういうことかな?
February
17
2012
09:45
自分はダメだとか、自分は足りないとか、
そういうことを言う人がたまにいて。
そんでその度に、
ダメなんかじゃないんだぜ、
って思うのだけれど。
そりゃぁ人間ってもんは、
一人一人性格も違って、
価値観も違って、
できることも違って、
そんなこんなでいざ自分を見たときに、
自分にはこれができないとか、
自分はこれを持っていないだとか、
そんなん思うことは、
そりゃぁ、あるかもだけど。
でもさ、
これができないとか、
これを持ってないとか、
みんなさ、
すぐに思い浮かぶものが一つや、二つや、たくさんあるだろうけど、
それがさ、
できないのってダメなことなの?って。
持ってないのってダメなことなの?って。
いいとか悪いとか、
そんなんって結局、人によってどう思うかは違うわけで、
そんならさ、
それを決めたのは、
他の誰でもなく、お前自身じゃねーの?って。
自分はこんなに気にしてるのに、
他人から見りゃぁどうでもいいこと、なんてよくある話。
じゃあさ、
例えばお前の大好きな誰かが例えば同じようにそれをできなかったら、
それでどうこう思うのかぃ?
ってさ、
そういうことじゃん。
結局は、自分がどうありたいか、ってな好みの問題。
「これができないのがダメだ」
なんてんじゃなくて、
「自分は自分自身を満足させるためにこれをできるようになりたいんだ」
ってきちんと思えたらさ、
少なくとも、
みんなが好きと思ってくれてるレベルくらいにはさ、
自分自身を好きになれるんじゃないか、
って。
そう思うよ。
January
31
2011
02:04
少年はある日、大人になって、ふと気付く。
「思う」ことと「考える」ことの見分けがつかなくなっている自分。
ぽこぺん、
ぽこぺん、
誰がつっついた?
わかった人は、幸せとは限らないし、
わからなかった人が、不幸とも限らない。
誰がつっついた?
September
22
2010
22:13
「時間をかけて積み上げたものは、なかなか崩れはしないんだよ」
って言う人もいるけど。
でも、
ジグソーパズルだって、
ルービックキューブだって、
頭を悩ませて、時間をかけて、
時には諦めそうになったりとか、
時には誰かの智慧を借りたりとか、
そうやって完成させたアレコレも、
崩す時は、
一瞬。
1000ピースだって、
5000ピースだって、
崩すのは、
一瞬。
でも、
ぐしゃって崩した時に、
繋がったまま残るいくつかのピース。
それも崩すか、
それとも残すか、
好きにすればいいけど、
少なくとも、
繋がったまま残るピースが存在する、
って、
その事実は、
変わらないんだぜ、
って。
それまで誤魔化しちゃ、いけない。
August
18
2010
18:55
男の子は、
恋をして詩人になり、
付き合って愚者になり、
恋に破れて哲学者になり、
恋を諦めて道化師になる。
茜さす、紫野行き、標野行き
野守が見ようとも何だろうとも、
自分に嘘をついては、いけない。
道化師でも、いいじゃないか。
誰かが何か言ったところで、
どんなに時が経ったところで、
心が決まってるなら、
それに従えばいい。
今は感情がついてこなくても、
きっと、
いつか、
感情も追いつく。
大丈夫。
August
16
2010
15:57
土曜の話。
前の前の職場に久々に顔を出してみた。
やっぱりまだまだ自分の中では鮮明な思い出だけど、
店の中はけっこう変わっていて、
ケンタはあの頃はまだ学生まんまだったのに、
貫禄がついてヲトナっぽくなっていて。
吉木さんも少し、女っぽい雰囲気になっていて。
夜は夜で、
ポンデ子とは約2年くらいぶり、
ワタロとしょこたんとは7ヶ月ぶりに会ったら、
やっぱりみんなあの頃とはちょっと違って。
時間は、何もかもを変えていくものなので。
いろんなものがいろんなふうに変わっていって、
気付いたら、同じだと思ってたものが、全く違う風景になってる。
自分では気付かないけど、
俺もきっとどこかが何か変わってしまって、
あいつも、あのコも、どこかが何か変わってしまって。
そして、
もう、
前には戻れないんだよ、って、
時間が言ってることに、ある日、気付く。
そして、
いろんなものが、いろんなふうに変わって、
結びついたり、
すれ違ったり。
変わることは素敵だけれど、
変わらないでいたかった事も、ある。
こぼれたミルクに泣き続けている人は、
きっと、
ミルククラウンを心に焼き付けてしまった人で、
それはとても幸福で、
それはとても不幸だ。