やさしいひと。
「やさしいひと」になりたい。
そう思ってた頃があった。
周りの人たちの、
言動とかナンヤラとか、
同じものに対しても、
意地悪とか、
嫉妬とか、
嘲笑とか、
ついついそんなものを持ってしまう自分と違って、
親切で、
優しくて、
無私な姿は、
自分にとってすごくコンプレックスで、
中学校のときも、
高校のときも、
20歳になっても、
ずっとずっと引け目を感じていた。
でもさ、
いつからか、
肩肘張って、自分が強いみたいな虚勢張るのに疲れちゃって、
意地悪で、
嫉妬して、
弱い自分でもまぁいいか、
と思うようになって、
それから、少なくとも引け目は感じなくなったかなぁと思う。
弱い自分だから、
みんなにいつも支えてもらって、
んで、さんきゅって思うから、
甘えちゃって、
弱いままでもいっか、
ってずっとそうやってるのも、
ホントはどうなのかと自問自答する部分はあるけど、
きっと人間なんて、
無理に強くなろうと思ったらさ、
どっかに無理がかかってバランス崩れちまうからさ。
自分の中のいろんな醜い感情とか抑えてさ、
さも自分が心から思ってるかのようにやさしく振る舞うのは、
それは違うかな、って思うから、
だから、
意地悪やら嫉妬やらナンヤラも、
思ったら全部まんま口に出しちまおうって。
そう思ってんだ俺、って。
そしたらけっこう笑い話で、
どーでもよくなったり、すんだ。
だからさ、
もしさ、
自分がやさしくなかったりするんだったらさ、
そんなことで泣いたり悩んだりしなくていいんだよって。
本人でもいい、
第三者でもいい、
弱くて醜い自分を、まるまる飾らないで口にしてほしいなぁって。
そしたらさ、
いろんなことが、
まぁ、そんなもんか、
って、
なんだぜ。
うん。
なんだぜ。
俺もさ、
ずっとさ、
それをしてこなくて、
なんだ俺、この野郎。
って思ってきたからさ、
少しはさ、
わかるはつもりではいるんだぜって。
「やさしいひと」にはなれないけど、
「深刻に考えないひと」にはなれたから(笑、
弱いのをさらけ出すことは、
別に恥ずかしくなんてないと、
今では思うからさ。
何でも、
言ってくれりゃいいのに。
って。
美的感覚の研究によれば、
完全なシンメトリーって、美しさを感じないんだってさ。
そういうことかな?
不完全だから美しいみたいな?
弱い自分を自分が受け入れるってのは実は大変だとおもう。
意地悪や嫉妬やらナンヤラって
料理でいえばスパイスみたいなものじゃないかなぁ、と。
そういう毒がその人の魅力を引き立てるというか、
深みを増すというか、
とにかく全く毒のない人なんてつまんない!って思っちゃう。
あまりに毒々しいのはちょっと…ですが。
そんなふうに考える私って、ひねくれてるのかなぁ。
>ちち子。
自分を愛するためには、他人を愛することが必要で、
他人を愛するためには、自分を愛することが必要で、
っていう、卵が先か鶏が先かって話になんだけど、
でもさ、他人だって弱いってのに気付いて、
それを支えたい、って思った時に、
自分の弱さも認められるんじゃないかなぁ、
って俺は思うんだよなぁ。
創造物をより美しくするために、
人間は不完全に造られたのかもしれないぜ、って、
無宗教の俺が思うぜ!
>めぐぅ。
いや、まさに俺も同じように思ってるよ!
なんつーかさ、
やっぱそういう部分って、
人間がいちばん人間らしい部分じゃない?
そういう個性もまるまる含めて、
それがその人っていう人間そのものだと、すごく強く思う。
だから、
自分の嫉妬やら意地悪やらナンヤラカンヤラが、
だんだん愛おしくなってくると、
同じように、いろんな人のさ、
嫉妬だったり、ナンヤラカンヤラがさ、
すごく愛おしく感じるんだよね。
めぐぅの言う通り、それが行き過ぎるとNO!だけど。
でさ、俺さ、
まだめぐぅのそういうトコ見せてもらってないなぁ、
って思うんだよね(ニヤリ
それってめちゃめちゃ 勇気がいるなぁ。
小心者の私には難しい…
自分の軸をみつけれればそれでいいのだ。
そうすれば足りないとこも見えてくるし。
おれのこういうとこはいいところなのかもって思えるよね。
バランスですよ。何事も
>あっきん。
俺の前でくらい、力抜いてくれていいよん。
あっきんのどんなトコも、
大事な友達の一部だから、大好きだから、安心していんだよ。
って思うさぁ俺。
>ワタロ。
うん、結局は自分を信じるってことなんだよね。
そのためにはやっぱ、いっかい全部自分の中をクリアにするとさ、
いろいろとバランスが取りやすくなるんだよね。
人間は、肩肘張っちゃうと、
一方向にばっかり荷物背負っちゃう。