シンカ論。
やはりいろいろなので、
どうにもこうにもいろいろ考えるが、
答えが出ないのでもう寝る。
人間はそれでいい。
やはりいろいろなので、
どうにもこうにもいろいろ考えるが、
答えが出ないのでもう寝る。
人間はそれでいい。
今日、
18:15、
急にシフトが大幅変更され、
明後日休みが明日休みに変わった。
そんな急に言われても!
今日の午後に明後日の約束した某人、ごめんよぉ(涙
さて、今日は早速休みなわけだが。
明日からはしばらく勤務になりそうだからしっかり休んどかにゃ。
で、なんと。
体調がけっこう良くなった。
まだ完調ではないが。
10時間くらい寝たからなぁ。
ここんとこ2日間合計で3時間くらいしか寝れてなかったので、
そりゃぁ治るものも治らなかったわけだが。
とりあえずやはり睡眠が大事。
風呂ろっと。
明日を夢見た人間信者は明日の死を待つ自殺志願者に。
息を止めて心を開いたら、
明日を呪う人間不信者も明日を夢見る人間信者に戻れるかな?
自殺志願者も永久幸福論者になれるかな?
なれるかな?
なれるよね?
うん。なれるさ。
左心房から白血球や赤血球と共に送られるものは?
今熱をはかったら、
38℃だった。
一晩で下げるには適度な熱だな(ニヤリ
というわけで、
一晩で37℃くらいまで下げるぞっと。
がっつり寝まぁす。
気。
病は気から。
というが。
それは明らかに正しくない。
もちろん気によって抵抗力が落ちたりしてれば病にかかりやすいのは事実だが。
だが。
どんなに気が充実してても、
ウィルスは否応なく体躯に侵入なされるので。
だがさらにしかし!
既に侵入し体内で暴れているウィルス様を、
人知を超えた気を発揮しまくって今夜中に撃退してしまおうではないかと。
サイババにできるなら、
俺にだってできるだろ。
根拠は無い。
でも。
明日までに治すよ。
布団に入りまくっても退屈しないようにブックオフで買い物中。
出かけてるのか!
大作戦。
体調が良くない。
良くなる傾向が無い。
っつーか明らかに悪化?
今日がピークであることを祈りつつ。
そしたら明日からは良化傾向だ。
働きながら治ーす!
やるしかないよね。
そうなんだよね。
昔がそうだったんだからできるはずだ。
どんな喜怒哀楽も捨て去って、
ただここにいるしかない。
そうして審判を待とう。
できるだけのことはやる。
30年でも、
50年でも、
生きてるうちは大丈夫。
眠れない。
一睡もできぬままこの時間。
明日の今頃は通勤ラッシュなのに、
熱もひきそうにないし、大丈夫か?
眠りたいとは思っているのだけれど。
自分の中の何かが全く眠気を寄せ付けてくれない。
精神は、一定の段階を超えると眠ることを拒否するのな。
初めて知った。
「今日」と「明日」が、
睡眠という断層によって遮られた不連続面ならば、
無意識に「明日」を迎えることを拒んでいる?
「今日」が永遠なら、
不可逆な現実から目を背けることができる。
そんなことはできないことはわかってるんだけれども。
わかってるけど。
俺の中では永遠に続く今日。
明日が来るのはどれくらい先?
幸せと不幸はいつでも表裏一体だ。
同じものでも、
角度一つで、幸せにも見えるし、不幸にも見える。
そうやって一つのものが、
誰かと誰かにとって、逆の意味を持って、
そして、離れていく一方のその距離は、
お互いの絶対値分を足した数。
そんなものは、
ある日偶然見る角度が変わったりして、
そんで見方が裏返ったりするものなのに、
人は、自分から立ち位置を変えようとはしない。
それだけで、
意外と全部が済むことだったりしても、
人は、今の立ち位置を正当化するために、
立ち位置を変えようとは、しない。
そしてそのある日が来て、
とりかえしのつかないことを知る。
昨日あった幸福と、
今日ある不幸。
そんなものは、同じものだ。
同じものを、同じと気付かなかったのが悪いのだ。
人である以上、不可避なことと、
人であるから、避けたかったこと。
それがいつでも同一なので、
人はいつでも、苦しみながら、生きる。
不幸においては、過去の幸福こそ不幸を感じる最大の素因。
幸福においては、過去の不幸こそ幸福を感じる最大の素因。
そんなものだ。
何もかもに意味など無い。
今日の無い明日が来ることのみを祈る。
風邪をひいた。
明日から新しい仕事なのにどーするよ。
さて、いろいろありまして。
ここに宣言。
こっち側(どっち)の人間に戻ります。
もう、いろんなものは信じません。
信じると、バカを見るのは俺だ。そう、俺だ。
音楽とスポーツだけが裏切らない。
人は人に希望を持ちます。
でも、希望は往々にして失望に変わります。
それなのに、人は希望を捨てられない。
だから、苦しみ続ける。
それならばいっそ、無機質な、無感情なロボットになればよい。
ボッコちゃんになればよい。
そうやっていくしか、道は無い。
でもきっと俺は希望を捨てられないので、
人である以上、それは捨てられないので、
血反吐を吐いて行くしかない。
苦しみに悶えていくしかない。
それは避けたくても避けられないことで、
絶対に消えるはずのないことで。
この苦痛を受け止めて進むためには、
他のもの全てに絶望・絶無を決め込むしかない。
そうやって、一つの希望のために、
全てを捨てていくしかない。
人である以上は、
それが唯一の方法。
苦しいとか、苦しくないとかじゃなく、
それしか道は無いわけで、
その道を進んで行くしかない。
絶望とは死に至る病。
キェルケゴールの言っていることの意味がホントにわかったのは今日だ。
絶望しかない人生には、死しか選択は無い。
だから、人は必ずどんな今際にも希望が消えない。
希望とは、人間が生きるために特別に残された、唯一の糧だ。
その唯一の生きる縁を無理矢理に押し込もうとするのは、
要するに、そこに残されているのは、死だ。
人間は、絶望だけの中で生きられるほど強いものじゃない。
だから、
その希望だけは捨てるつもりはないし、
捨てられないし、
それを抑え込むはずも無い。
世の中は全て絶望だ。
その中に、それぞれがたった一つの希望に依って生きてる。
どんなに否定されても、
どんなに嫌がられても、
そんな艱難辛苦の中で進んでいくことは、
俺の生きる唯一の方法だ。
明日という日が、
結局12年後か、30年後か、50年後になった。
そう思えばいいだけだ。
いいだけだ。
いいだけ。
それだけが生きていられる方法。
それを信じていくために、
それ以外のことを信じるのは、
やめた。