んで宣言。
風邪をひいた。
明日から新しい仕事なのにどーするよ。
さて、いろいろありまして。
ここに宣言。
こっち側(どっち)の人間に戻ります。
もう、いろんなものは信じません。
信じると、バカを見るのは俺だ。そう、俺だ。
音楽とスポーツだけが裏切らない。
人は人に希望を持ちます。
でも、希望は往々にして失望に変わります。
それなのに、人は希望を捨てられない。
だから、苦しみ続ける。
それならばいっそ、無機質な、無感情なロボットになればよい。
ボッコちゃんになればよい。
そうやっていくしか、道は無い。
でもきっと俺は希望を捨てられないので、
人である以上、それは捨てられないので、
血反吐を吐いて行くしかない。
苦しみに悶えていくしかない。
それは避けたくても避けられないことで、
絶対に消えるはずのないことで。
この苦痛を受け止めて進むためには、
他のもの全てに絶望・絶無を決め込むしかない。
そうやって、一つの希望のために、
全てを捨てていくしかない。
人である以上は、
それが唯一の方法。
苦しいとか、苦しくないとかじゃなく、
それしか道は無いわけで、
その道を進んで行くしかない。
絶望とは死に至る病。
キェルケゴールの言っていることの意味がホントにわかったのは今日だ。
絶望しかない人生には、死しか選択は無い。
だから、人は必ずどんな今際にも希望が消えない。
希望とは、人間が生きるために特別に残された、唯一の糧だ。
その唯一の生きる縁を無理矢理に押し込もうとするのは、
要するに、そこに残されているのは、死だ。
人間は、絶望だけの中で生きられるほど強いものじゃない。
だから、
その希望だけは捨てるつもりはないし、
捨てられないし、
それを抑え込むはずも無い。
世の中は全て絶望だ。
その中に、それぞれがたった一つの希望に依って生きてる。
どんなに否定されても、
どんなに嫌がられても、
そんな艱難辛苦の中で進んでいくことは、
俺の生きる唯一の方法だ。
明日という日が、
結局12年後か、30年後か、50年後になった。
そう思えばいいだけだ。
いいだけだ。
いいだけ。
それだけが生きていられる方法。
それを信じていくために、
それ以外のことを信じるのは、
やめた。
苦しくてちぎれそうになっても、人って生きているものです。不思議と。
あったかくしてくださいね🍀
何故やめるのだね?
黙っていても明日は来る。
信じたモノに裏切られ絶望したとしても、宇宙的な価値観で包めないか?
人は未来に背を向けて、無数の過去を紡いで未来を作る。だから先がわからない。
明日のだいざぇもんの中には一瞬の無数の過去がある。
せめて下を向かないように。横を向かないように…
あたしの知ってる君は少なく一面でしかないのだが、あの笑顔は本物だと思うので、君に諦めや絶望を見たくないだけかもしれないが、まだまだ見ていたい人間です。
何あったか知らないけど結論付ける前に相談&愚痴聞くよ
それから答えだせばいい
人には絶望はない
生きているから幸せなんだぜ
>めぐぅ。
ありがとん。早く治します。
人ってどうして最後まで希望を失わないんだろう。
どんなに遠いものでも、そのためになら生きられる。
不思議だ。
>よー姐。
今の俺に来る明日は、
俺がいちばん望まない明日で。
それを受け入れてしまった瞬間、俺の精神は死ぬ。
たとえば人間には軸があって、
たとえその軸以外が全て無為でも、
その軸に依るからこそ立っていられるわけで。
軸を失ったら、どんなに他を信じても、
ピンで留めた布みたいなもの。
未来は、その軸に沿っていつでもある。
自分を曲げて軸を捨てたら、
そこには過去からの連続性は無い。
待つのは後悔と自嘲。
前を向いていきたいから、
自分が大事なものに希望を持っていきたいから、
それ以外のものを信じるのをやめる。
これは前向きな決断。
でもホントによー姐ありがとう。
よー姐の前で、きちんと俺でいれるために、
絶望という名の希望と向き合っていきます。
>ふみさん。
生きていなければ不幸も無いって思うこともあるよ…
でも、人なので、
その中にも、一かけの希望を見出してしまうので、
生きる。
だから、
その希望があるかぎりは、
それだけを見て、
他のものは全て時間を止めて、
そんで生きてくさ。