悪しき夢見し酔ひもせず。
レース中に骨折した競走馬は、
完治して復帰しても、骨折したコースの骨折した場所に差し掛かると、
恐怖心でひるむんだってさ。
無意識下で人間もそんなのは同じ。
3月。
鬱々した季節。
鬱々した俺ら。
レース中に骨折した競走馬は、
完治して復帰しても、骨折したコースの骨折した場所に差し掛かると、
恐怖心でひるむんだってさ。
無意識下で人間もそんなのは同じ。
3月。
鬱々した季節。
鬱々した俺ら。
莫迦で極度に単純で、極度にマイウェイなこの性格をどうにかするべきだ。
単純すぎることは、
ループを一周して、複雑すぎるのと同じ。
そうやって誰かに誤解されたりとか、
そうやって誰かを傷つけたりとか、
そんなんで右往左往。
ストレートに物を考えて、
ストレートに物を言うことが許されない世の中?
躰が弱ってるときは、
どうも心まで弱ってしまっていけない。
力萎えて、過ぎたこと振り返ってゴニョゴニョ。なんて、
じゃあ今まで俺がやってきたことって何。
って話なんで。
どんなに自分にとって大事なものでも、
今無いものなら、それはもぅ過去のもの。
後ろを向いて走るよりも、
前を向いて走るほうがずっと速い。
人間なんて忘れてくことばかりで。
覚えてるのがつらいこともあるし。
忘れてくのがつらいこともある。
あの時の楽しかったことや、
あの時の苦しかったことも、
全部、一緒。
どれかを都合よくひっぺがして、これは忘れる、これは忘れない。
なんてのは、できない。
会社へ向かうために外に出ると、
道には驚くほどに雪が少ない。
暖冬だ暖冬だ言いながらも、
暖かくなっては吹雪き、
暖かくなっては吹雪きでなんだかんだ冬してたわけだけれど、
なんかもう視覚的な色合いや、
空気の匂いや、
風の味が1年ぶりのアレコレで、
ああついに本当に暖冬のままもう春なんだなぁと実感。
そして俺ももうコートを脱いで、
冷えない程度の格好で家を出たわけだけれども、
ちょうど1年前、
同じように春が冬を溶かした時のことを思い出してみると、
あの時のいろいろ諸々なこと。
この1年で俺は何か変わった?
同じことばかりを繰り返してる気がするから、
春は、嫌い。
時間ばかりがどんどん過ぎてく中で、
3月は俺にはいつも同じ空気。
寂しさを怖がっちゃ何もできないんで。
前に進む度に押し潰されるのは、
自分で選んだ結果。
1人だって、2人だって、孤独なのは同じ。
ぐっどもーにんぐえぶりわん。
ぐっどもーにんぐみすたーふくとめ。
とぅでぃ、あいむいん、市民会館。
市民会館に来ています。
そう。
あの閉鎖が決まった市民会館。
市民会館ホールわりと好きだったしさぁ、
なんで閉鎖よ!
って思ってたんだけど、
あぁ、閉鎖だな。
ってわかった今日。
ホールはわりとまだ綺麗だし、
フリーター時代、税申告に来た2階の会議室も、
まだまだ大丈夫と思うんだけど、
3階の会議室はこれはもぅ…
ボロボロだし、
っつーか、フロア中にトイレの匂い充満。
換気がなってないんだな。
これじゃぁ会議どころじゃない。
からまぁ、閉鎖もやむなし。
五輪前後にポコポコ建てられた建物たちの耐用年数が過ぎて、
札幌も一つのエピックが終わったってことなんだな。
しみぢみ。
なんかここ数年で、
思い出のものがどんどん無くなっていくな。
有頂天の「BYE-BYE」のような、
君と僕とが作った何かも、
君と僕とが出会った何かも、
君と僕とが信じた何かも、
君と僕とが行ったトコも、
君と僕とが嫌った何かも、
君と僕とが数えた何かも、
君と僕とが壊した何かも、
君と僕とが思った何かも、
どんどん無くなっていって、
そんで忘れてしまう、
激情とか、虚栄とか、自信とか、欺瞞とか、
そういう自分を形作ってきた諸々と、
形作らせてくれたひと。
人間は記憶の生き物で、
裏返せば、人間は忘却の生き物で、
いろんな大事なことを忘れながら俺らは生きてる。
かたちがなくなったら、あとは記憶ごと風化するだけのもの。
ナンバーワンのほうが、ずっと、いいさ。
だって、オンリーワンなんて、絶対、無理だよ?
閉ざされた空間の中で生きてるわけじゃないんだし、
オンリーワンで完結できるほど、
全てを具備した完全体だと思ってるわけ?
存在し得ないオンリーワンを求めて、
そんで結局ナンバーワンすら失った人、
何人も見てきた。
ナンバーワンであるための努力、
してるって、ちゃんと、言える?
人間なんてのは、
そんなに強いもんでもないし、
そんなに弱いもんでもないし。
それなのに、
なぜみんな強いふりをしたがる?
なぜみんな弱いふりをしたがる?
んで、そうやってイメージの殻かぶって、自己満足。
さて、一昨日誰ぞと話した話の内容。
人間、誰しも生きてる以上は結局は孤独。
誰もそう。
俺もそう。
お前もそう。
なんらかの意志を持って生きようとすれば、
それは絶対に孤独。
気付けば誰もいなかった。
なんてよくある話。
なんだかんだ言って、
俺なんてケチョンケチョンでさ、
孤独感で潰れることもある。
でもじゃあ、それを埋めるために何をする、って話で。
一人で寂しいから、
じゃぁそういう時側にいてくれるから。
ってそんな理由で誰かとどうのこうの。
それは違うんじゃねーかと思うんだよな。
恋人や配偶者の、
そのレゾンデートルの第一義が、
寂しさを埋める存在。
なんて、
それはアイ?
一緒に歩ける、だの、
楽しい、だの、
支え合える、だの、
いろんな理由を後付けでコーティングしまくってみたところで、
じゃぁ、
孤独で渇ききった心を潤す方法、
一人で潤す方法さ、
他に無いとすれば、
それはいくらどんな言葉で飾ったところで、
結局は恋人や配偶者がその対象なんじゃん。
って話。
孤独を埋めるものがアイなのか、
それともそれはアイじゃないのか、
それは各個人の定義の問題。
俺は誰かにそれを求めるのが生理的にむず痒くて仕方がないので、
それだけの存在なら「?」だよ、ってそれだけのこと。
アイは何?知るもんか!