カテゴリーアーカイブ: 人はいつも。
January
31
2007
01:40
重度の刹那主義。
それはやっぱり違うと思うので。
「明日死ぬかもしれないから、やりたいことをやって生きる」
そんなの、絶対に間違ってる。
自分の、本当に行くべき処は、
一日の放埒で辿り着く場所じゃないし。
本当に何かに辿り着くためには、
もっともっと先を見据えて、
じゃぁ、そこに行くために、今何をするか。
その積み重ね。
たしかに、明日死ぬかもしれない。
人間だから、それは否定できない。
でも、明日死なないかもしれない。
明後日も、その次も。
じゃぁ、今だけの何かに溺れて、
それが結局、何十年も続いて、
どこに辿り着ける?
先を見据えて進んでねぇんだもん。
マクロな視点で見たらさ、
結局、何もやりたいこと、できてねぇんじゃん。
明日死なないかもしれない。
明後日も、その次も。
じゃぁ、何年後まで生きて、
その時点で、どういう理想の自分になってるために。
そうなったら、
すっげー楽しいじゃん。
すっげー嬉しいじゃん。
それを全部放棄して、
その場その場を積み重ねても、
本当に辿り着けるはずだった場所、
見失って、
結局は心の奥は満足してない。
バカじゃねーの。
刹那主義を全面的に否定するわけじゃない。
遠い遠い先のことだけ見て、
そんで今も、とりあえず先も、苦行だらけ。
そんなん、
ゴータマが言ってた、
「生が最大の苦」
まんまじゃん。
マクロ視点の、自分の進むべき道程、
それから逸れない範囲で、毎日を最大楽しむ。
そういうバランスじゃん。
バランス崩して、
そんで、どうだ!
なんて、端から見りゃぁ、
え?何?って話。
重度の刹那主義は、
単なるナルシシズム。
顔は笑ってるけどさ、
心は全然笑ってねぇじゃん。
気付いてんだろ?
January
24
2007
10:06
なんだかみんな難しい顔しちゃってさ。
仕事のウンタラクンタラだの、
男女のナンタラカンタラだの、
家族のナンヤラヘンヤラだの、
守らなきゃいけない規制線とか何だとか、
そんなん考えてどーなるっての。
世間一般の
「かくあるべし」
なんつー常識の枠ってのは、
要は誰かにとって都合のいい情報操作であって。
そんなもんに縛られて、
せっかくの自分の一日一日ってもん、
真っ直ぐ見えてないんじゃないの?
なんだか面倒臭い瑣末なことにかかずらわってさ、
そんであとたかが40年やそこらの人生、
浪費してんのってもったいなくない?
なんか20年やら30やら経っていろいろ世間一般の安定を得て、
そんでそれから~、
なんて思ってみても、
そんなん、
老いてスペックの落ちた躰で、
そっからスタートなんて、何ができる?
せっかくの日々、
自分の本当に求めて、
本当に満足することやってかないと、
全然意味ねーじゃん。
もぅ強欲なくらいさ、
そん時やりたいことやってかねーと。
刹那主義だけじゃぁ、
先細りしてって、死ぬ時後悔すっから、
長いスパンで自分の目標に向かって行く楽しみと、
刹那刹那を全力で楽しんでく楽しみと。
両方持ってないと。
やりたいことをやって、
言いたいことを言って、
それ以上もそれ以下も無い。
そうであろうとなかろうと、
結局はケツ拭くのは自分。
世間様に恥じないように生きて自分の可能性殺しても、
肝心の世間様は責任なんて取ってもくれないんで。
生きるってのは。
活きることなわけで。
活きてるか?
死んでんじゃないの?
December
27
2006
20:38
誰ぞが言ってた。
「自由」と「孤独」は同じ。
って。
きっと、
自由を求めることは、孤独を抱え込むことに他ならないし、
孤独を逃れようとすることは、自由を放棄することに他ならないわけで。
一方で、
孤独では無い。という孤独もまた存するわけで、
人間はどこまで行っても結局は独り。
ならば、
孤独を紛らすための誰かの存在というものは、
それは、きっと、虚無。
大事なものは、
もっと別のベクトル上にある。
December
05
2006
10:54
トラブルは、ヘコむことは、人間だもの。絶対にある。
大事なのは、それをいちいち気にしないことだと思うさ。
あって当たり前なんだから、
それをことさらに大きく自分に背負わせることは無い。
どんな失敗があったって、
それで別に人生が終わるわけじゃないし。
失敗の無い人間なんて、大きな成功も無いんで。
失敗や失望があるってことは、
神が
「お前はもっとデカい成功をするべき人間だ!」
と選んでくれたということだ。寧ろ喜べ。
どんな方向であれ、突っ走りゃぁいい。
いちいち小石に足止めてるよりも、
構わず全速力で、その先にある大きい岩を飛び越えるための助走。
そんなもんだ。
November
27
2006
01:30
自分を傷つけられたくないから、
他人を傷つけないように注意する。
って、それだけのことだと思うのだけれど。
November
20
2006
01:12
どの方向に歩いているのかはわかっても、
そこに何があるのかなんてのは見えないわけで。
だから恐れる人もいるし、
だから何も恐れない人もいる。
顔をどこに向けるかが試される。
November
08
2006
20:35
楽しまなきゃ損なのです。
誰かの顔色を窺ったり、
躓くのを恐れたり、
そんなことはどうでもいいのです。
そんなことを気にしている間に、
動かないのに慣れてしまった心の手足は、
萎えてしまって動かせなくなるのです。
人生は旅、と誰かは言った。
旅の恥は掻き捨てなのです。
自分が思っているほど、他人は見てなんかいないのです。
恥をかきたくないなんて、
そんな自意識過剰、
そろそろやめてもいいと思うのだけれど。
昔憧れていた何か。
今それをやろうと思ってください。
でももう遅いとか、
バカな夢なんてとか、
そういう風に思う人は、
心の手足がもう萎えてしまって動かなくなっています。
それだけのことです。
リハビリから始めて、
もう一度動くようにすればいいという、
単純な方法で解決する問題なのです。
理屈ばっかりこねて、
踏み出せない足のやり場。
GAKU-MCの言う、
「中学の僕が今の僕を見たならば、尊敬はされるのか」
クロールしていくのです。
October
24
2006
01:35
つらいことがあっても、
それが深刻だなんて他人に気付かせちゃダメさボーイ。
自分できっちりと立っているということ。
そんな生き方にたまに疲れて、
何かに寄り掛かりたくなる時もあるけど。
October
21
2006
16:02
誰かと誰かがごっつんこ。
そんで生まれた衝動とかナンヤラを、
もっともっと積極的に受け止めてもいーんじゃないの?
いろんなこと現実的に考えて、
そんで自分を抑え付けたり縛ったり。
とある何かも、すれ違って、はい、じゃあね。
なんてさ。
もったいねーじゃん。
と、思うのだけれど。
あの時、ああしとけば何かが違ったかな。
なんて後悔、
それだけはもういらない。
October
06
2006
01:24
誰か。
なんだか徒手空拳な毎日。
だと思ってしまって、
ちょっとブルー。
寄り掛かる所は無いので、
立つ。
大事なものを落としてきたことは、
取り返しがつかないくらい後になって気付くってさ。
何かで言ってた。