明日も生きる。
重度の刹那主義。
それはやっぱり違うと思うので。
「明日死ぬかもしれないから、やりたいことをやって生きる」
そんなの、絶対に間違ってる。
自分の、本当に行くべき処は、
一日の放埒で辿り着く場所じゃないし。
本当に何かに辿り着くためには、
もっともっと先を見据えて、
じゃぁ、そこに行くために、今何をするか。
その積み重ね。
たしかに、明日死ぬかもしれない。
人間だから、それは否定できない。
でも、明日死なないかもしれない。
明後日も、その次も。
じゃぁ、今だけの何かに溺れて、
それが結局、何十年も続いて、
どこに辿り着ける?
先を見据えて進んでねぇんだもん。
マクロな視点で見たらさ、
結局、何もやりたいこと、できてねぇんじゃん。
明日死なないかもしれない。
明後日も、その次も。
じゃぁ、何年後まで生きて、
その時点で、どういう理想の自分になってるために。
そうなったら、
すっげー楽しいじゃん。
すっげー嬉しいじゃん。
それを全部放棄して、
その場その場を積み重ねても、
本当に辿り着けるはずだった場所、
見失って、
結局は心の奥は満足してない。
バカじゃねーの。
刹那主義を全面的に否定するわけじゃない。
遠い遠い先のことだけ見て、
そんで今も、とりあえず先も、苦行だらけ。
そんなん、
ゴータマが言ってた、
「生が最大の苦」
まんまじゃん。
マクロ視点の、自分の進むべき道程、
それから逸れない範囲で、毎日を最大楽しむ。
そういうバランスじゃん。
バランス崩して、
そんで、どうだ!
なんて、端から見りゃぁ、
え?何?って話。
重度の刹那主義は、
単なるナルシシズム。
顔は笑ってるけどさ、
心は全然笑ってねぇじゃん。
気付いてんだろ?