8月の温度。
遠慮しないでこっちおいで。
余計な心配とかしなくていーから。
奥底の本心に素直になって、
後のことはそれから考えりゃいーのさ。
遠慮しないでこっちおいで。
余計な心配とかしなくていーから。
奥底の本心に素直になって、
後のことはそれから考えりゃいーのさ。
昨日、6年ぶり?にお目にかかった方への、直接は言えなかった些細な事。
君は俺からいろいろな影響を受けたと言うけれど、
俺は君からもっといろんな影響を受けているよ。
ちょっとした行動規範だとか、ちょっとした価値観だとか、
そして何よりも、その底抜けの優しさを、俺はずっと目標にしてきているから。
この何年かを振り返って、
「ごめんね」と
「ありがとう」
この二つを素直に言えるようになったのが、
一番の成長なのかな、と思う。
すごく困らせたと思う。
本当にごめんね。
そして、本当にありがとう。
不用意に傷つけた俺の原罪を、
何年も背負って生きています。
優しい人になることが、
その過ちに対する懺悔だと思っています。
少しはやさしくなれたかなぁ?
その答えは自分にはわからないから。
だから、そうあるために、
原罪を胸に大切に、生きていきます。
全てはこの日のためにあった、と、
そう思えるような瞬間が、いつかやって来るのだろうか。
その瞬間を迎えるためだけに、
俺はきっと生きている。
のだと
思う。
出張である。
そう、仕事で今日は7時前に家を出て、話題のセントレアへ。
んで、鈴鹿、守山で仕事をして今は豊橋のホテルでこれを書いているわけだが。
まぁ、数字的なもので言えば札幌よりはずっと暑いわけなんだが、
非日常感のほうが強いせいか、逆にそれほどに感じなかったり。
特に先月台北行ってるしな。向こうはもっと暑かったから。
ただ、子供の頃ほとんど何処も連れていってもらっていない俺としては、
どこ行ってもすごい新鮮で、見るもの一つ一つが感動。
駅のポスターやら、街並みやら、ガードレールやら、
一つ一つが俺の中の何かをビンビン刺激してくるわけだ。
仕事だからまぁ大変な旅ではあるんだが、
その中にも何かを感じながらしっかりと感性の引き出しを広げていきたいと思うのだな。
その意味では、この3、4年でどれだけ俺の感性が一気に拡がったことか、と思う。
だってよ、夢だった道東行って、
んで、道内あちこちくまなく巡って(道南以外)、
東京行って、
千葉行って、
台北行って、
んで今回東海に来てるわけで、
まぁ一昨日の内容にも繋がってくるわけだが、
それによって俺が得たものってのぁ限りなく大きいんじゃないか。
4年くらい前までの俺と今の俺ってのぁ冷静に見て別人ではないかと(笑)
まぁ、合い言葉は目指せ癒し系!だから(笑)
得るものを可能な限り大きく。
んで、俺がいろんな景色から得た癒しを、
少しでも多くの人へ還元できればと思う。
今思い返せば、何であんなに子供だったんだろう。と思うわけで。
比べると、今はずいぶんいろんなことを許せるようになって、それまでのことを後悔したりもするし、いろいろ考えたりもするけど。
でもそれも全部含めて、今の俺だから。
後悔はしても、後ろを向くつもりは無い。
深夜にふと舞い込んだ木曜日のお誘い。
日々の忙しさのせいで、いろいろな場でいろいろなお誘いを断わらざるを得ず、
なかなか皆も「あぁ無理だろうな」などと判断して誘いにくくなるのは、
まぁある意味当然だろうし、それは仕方ないとも思うのではあるが、
そんな中でもお誘いをくれる人には本当に感謝なのである。
たとえ忙しくて断ることになってしまうとしても(全くもって申し訳ないのではあるが)、
それでもやはり誘ってくれるという一事、それが非常に喜ばしく、
よし、じゃぁいざ行ける時のために今必死に頑張ろう、という原動力にもなるのだ。
Thank you for your invitation. マヂで。
応えるために俺は全力を尽くそう。
包みこむことが苦手だった頃に傷付けたコ。
いろいろな経験の中で今は優しくなれた自分と。
時間が経って、もう何もかも元には戻せないけど、今ならどうかななんてありふれた想像。
傷付けたぶんだけ、きっと今でも心の中では一番大事にしたい人。
あの頃の想いは、色褪せず持っているから。
やはり。
そういえば、以前に某まこ氏が「白井くんって俺の後輩では~」というカキコをしていたのを思い出し、本人に確認してみたところ、やはりそうらしい。
白井くんマヂでびっくり。
俺もびっくり。
人間ってのは、網の目のような関係の中で生かされているんだなぁ、と改めて実感。
一期一会って言葉は、結局はその全方位に広がっていく人間の縁をいかに抱え込めるか、ってトコに本質があると思うのだ。
そんなわけで、よろしく、俺に関わる全ての友人たち。よろしく哀愁。
昨夜は魔性の女(笑)・ちぃ嬢と3ヶ月ぶりのお茶なぞ。
なんかわりと激しい人生経験送ってきてる人と話が合います。
そういう人ってのぁ言葉一つ一つに奥行きがあって、
こっちもそれをしっかり咀嚼して味わうのが、すごく勉強になるし、新鮮なんだな。
結局、人と人との関係なんてのは、価値観の有機的接触であって、
そこから生み出される何らかの化学反応にこそ面白味がある。
そうであれば、自分の経験則に無い価値観をぶつけてきてくれる人の言葉ってのは、
俺の中の核融合を引き起こす導火線なわけだ。
それがどんな形であれ、恒星が肥大化していくのと同様、
俺もそんな価値観の核融合を繰り返す度に自分の人間としてのコアの部分が肥大化していくのを実感できるのがすごく楽しい。
通り一遍の、似通った価値観ならば、それは何も生み出さない死んだ言葉に過ぎないわけで、
そんなものは単なる退屈な時間でしかない。
最近会う人たちは芯の通った深い哲学を内包した生き方をしているので(本人が自覚しているかどうかはともかく)、非常に充実した時間をいただいていますよ。ありがとう。
歩みを止めた脚は、痩せ衰えていくもので。
価値観の肥大のスパイラルモデルを永久連鎖させることによって、俺が俺でいる意味が維持できる。
それが俺にとっての頼りないレゾンデートル。
停滞しがちな日々の価値観に、止まることのない推進力を与えてくれる人々に感謝。
そしてこれからもよろしく。