カテゴリーアーカイブ: 思う。

ひゅーまんこみゅにけ。

February 11 2007 00:41

いつも言ってることなのだけども。
 
やっぱさ、人間、
自分一人で拡げられる何かなんて、限りが絶対にあるので。
だから、
いろんな人と遊んで、
いろんな人から刺激を受けること。
だと思うわけよ。
 
中には、人生をすっげー頑張って進んでる人もいれば、
中には、社会からの諸々で、人生を停滞させてる人もいるわけで。
 
それをさ、
一個一個、
自分のニトロにしたり、
自分の三面鏡にしたり、
そうやって進める領域って、絶対に、ある。
 
 
社会からの制約の中で、自分を縛っちまってさ、
アレはできる。
アレはできない。
なんて選定、
何の意味がある?
 
実際、やってる人がいるなら、そうだろ?
やってない人見てさ、自分見てさ、どうよ?
 
 
まだまだできることなんて、腐るほど有る。
面倒だの、できないだの、周囲がどうのだの、
そんなもんで立ち止まってふーん、なんて。
ドライなふりしても、
羨む心持ってないなんて、胸を張って言える人なんて、
たぶん、
いない。



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なんて素敵なこと。

February 07 2007 11:40

いろんな刺激を受けて、
そんで得られるいろんな価値観を、
自分の価値観のキャンパスに象嵌していって。
 
見えるのは、
今までと違う色。
 
物事のテクスチャは全て複雑玄妙で、
一つ一つの襞すらもが、果てしない奥行き。
 
そんなもん、
もっと奥まで手ぇ突っ込んで、
楽しみ尽くさないと勿体ねぇ。
 
 
よく眼をこらして、
手を伸ばしさえすれば、
絶対、あるから。
 
 
 
 
それを得るための。
たくさんの人と、
たくさんの場所で、
たくさんのこと。
 
なんて素敵なこと。
 
 
そうしてそれを与えてくれる人々に、
還元するための日々の一歩一歩。
 
さんきぅ。



Categories: さんきゅ。, 思う。

分岐点。

February 04 2007 17:51

前へ行くか。
回り道をするか。
 
どっちが早いかわからない場合、
もう直感に頼るしかないし。
 
それで大変なことになったとしても、
責任を取るのは結局、自分。
 
だから、ちょっと考えて結論が出ないなら、
ウダウダいつまでも考えてるより、
こっちのほうが前へ進めそう!
ってほうを、思い切って選んじまえばいい。
 
怖いけど、
恐れてる時間が無い。



Categories: 人はいつも。, 思う。

これで終わりになるだろう。

February 03 2007 22:53

救いようの無い精神の死の淵。
 
俺らはなんだかんだ結局、
よりよく生きるために生きてるんだけれども。
けれども。
 
 
蜘蛛の糸は絶えず眼前にあるのに。
それを掴もうとしないんじゃぁ、
きっとチャンスも最後。
 
自分で望むのなら本望?
無くなってから、
気付くさきっと。



Categories: 人はいつも。, 思う。

こみゅにけいしょん。

February 03 2007 20:17

今年はもっともっと。
外に出て行く年。
にしなけりゃ。
と。
思う。
 
友達。
100人。
できるかな。
 
なんて。
100人?
足りない!
足りない!
 
ってくらいの。
気持ちで。
 
すごくたくさんの人から。
すごくたくさんの刺激とか。
すごくたくさんの価値観。
そういうのもらって、
もっと。
もっと。
いろんなもの。
生み出してかないと。
 
年齢的には。
もう種蒔きも、実りの時期も終わって。
一般的にはもう収穫に入る時期なんだけど。
でも。
まだまだ。
俺はここで止まるつもり無いんで。
 
どんどん。
種蒔いて蒔いて。
どんどん。
水やって水やって。
そんで。
もっともっと。
広げてかないと。
 
落ち着くつもりも無いし。
 
 
もっともっとたくさんの人と、
もっともっとたくさんのバカやってかないと。
あと何十年も生きるのに。
もう回収の時期だなんて。
ねぇ。



Categories: 思う。, 自分という存在。

現在地。

February 01 2007 01:40

俺らはみんな、
明日を生きるために今日を生きてるのであって、
明日の無い今日は無いし、
今日の無い明日も無いわけなので。
 
そしてそれは累ねられていって、
そんで振り返れば、そこには塔のように積み重なった道筋。
 
今日は一段。明日は次の一段。
土台を広げてないと、すぐに先細りして、
そんで、
そこまで。
 
 
いつか、
どこまでも、
積み累なっていく?
 
それとも、
バベライズ。
 
自分の中の融着が剥がれて、
バラバラになってしまう前に。



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凪。

January 31 2007 23:03

そんな感じ。
 
 
妙に穏やかというか、
全てをありのまま見える時期なので、
こういうタイミングにこそ、
いろんな人に会って、
いろんな事をして、
そんで、
いろんないいものを吸収していければと思う。
 
 
喜怒哀楽がイドの段階で全て中程度に入り交じって、
そんで中庸で平衡を保ってる。
 
なんか。
悟りが。
近そうだ。



Categories: 思う。, 自分という存在。

明日も生きる。

January 31 2007 01:40

重度の刹那主義。
それはやっぱり違うと思うので。
 
 
「明日死ぬかもしれないから、やりたいことをやって生きる」
 
そんなの、絶対に間違ってる。
 
自分の、本当に行くべき処は、
一日の放埒で辿り着く場所じゃないし。
本当に何かに辿り着くためには、
もっともっと先を見据えて、
じゃぁ、そこに行くために、今何をするか。
その積み重ね。
 
 
たしかに、明日死ぬかもしれない。
人間だから、それは否定できない。
でも、明日死なないかもしれない。
明後日も、その次も。
 
じゃぁ、今だけの何かに溺れて、
それが結局、何十年も続いて、
どこに辿り着ける?
 
先を見据えて進んでねぇんだもん。
マクロな視点で見たらさ、
結局、何もやりたいこと、できてねぇんじゃん。
 
 
明日死なないかもしれない。
明後日も、その次も。
じゃぁ、何年後まで生きて、
その時点で、どういう理想の自分になってるために。
そうなったら、
すっげー楽しいじゃん。
すっげー嬉しいじゃん。
 
それを全部放棄して、
その場その場を積み重ねても、
本当に辿り着けるはずだった場所、
見失って、
結局は心の奥は満足してない。
バカじゃねーの。
 
 
刹那主義を全面的に否定するわけじゃない。
遠い遠い先のことだけ見て、
そんで今も、とりあえず先も、苦行だらけ。
そんなん、
ゴータマが言ってた、
「生が最大の苦」
まんまじゃん。
 
 
マクロ視点の、自分の進むべき道程、
それから逸れない範囲で、毎日を最大楽しむ。
そういうバランスじゃん。
 
バランス崩して、
そんで、どうだ!
なんて、端から見りゃぁ、
え?何?って話。
 
 
重度の刹那主義は、
単なるナルシシズム。
顔は笑ってるけどさ、
心は全然笑ってねぇじゃん。
気付いてんだろ?



Categories: 人はいつも。, 思う。

生きること。

January 24 2007 10:06

なんだかみんな難しい顔しちゃってさ。
 
仕事のウンタラクンタラだの、
男女のナンタラカンタラだの、
家族のナンヤラヘンヤラだの、
 
守らなきゃいけない規制線とか何だとか、
そんなん考えてどーなるっての。
 
世間一般の
「かくあるべし」
なんつー常識の枠ってのは、
要は誰かにとって都合のいい情報操作であって。
 
そんなもんに縛られて、
せっかくの自分の一日一日ってもん、
真っ直ぐ見えてないんじゃないの?
 
 
なんだか面倒臭い瑣末なことにかかずらわってさ、
そんであとたかが40年やそこらの人生、
浪費してんのってもったいなくない?
 
なんか20年やら30やら経っていろいろ世間一般の安定を得て、
そんでそれから~、
なんて思ってみても、
そんなん、
老いてスペックの落ちた躰で、
そっからスタートなんて、何ができる?
 
 
せっかくの日々、
自分の本当に求めて、
本当に満足することやってかないと、
全然意味ねーじゃん。
 
もぅ強欲なくらいさ、
そん時やりたいことやってかねーと。
 
刹那主義だけじゃぁ、
先細りしてって、死ぬ時後悔すっから、
長いスパンで自分の目標に向かって行く楽しみと、
刹那刹那を全力で楽しんでく楽しみと。
両方持ってないと。
 
やりたいことをやって、
言いたいことを言って、
それ以上もそれ以下も無い。
 
 
そうであろうとなかろうと、
結局はケツ拭くのは自分。
世間様に恥じないように生きて自分の可能性殺しても、
肝心の世間様は責任なんて取ってもくれないんで。
 
 
生きるってのは。
活きることなわけで。
 
活きてるか?
死んでんじゃないの?



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だいという一個人としての深遠なる疑問。

January 20 2007 02:57

この前、某件で某嬢と話していて思った某。
 
 
世には、定期的な転勤が義務づけられている職というものがあるが。
正直、それはどうなのだろう。
と思うし、
その人生の中や先に何があるのか。
ってのが俺にはわからない。
 
 
やっぱりどう考えても俺には、
友人たちとの関係性ってのが何よりも大事で、
で、やっぱそれは、一朝一夕でどうこうなるもんでもないし。
やっぱそういうのって長い時間をかけて紡いでいくものだし。
 
俺の目指すところは、
最大多数の最大深化。
 
自分と全く異なった仕事をして、
自分と全く異なった夢を追っているような、
そんな友達を厭くことなくどんどん作っていきたいし、
それも、何らかの繋がりの中で友達面して、
その繋がりが無くなったらはい、さよなら。
ってなもんじゃなく、
よっ、最近どう?なんて、何年も何年も気軽に続いていける、
そんな関係でありたいと思っているし。
 
 
そんな大事なことが、
転勤の人生の中で、果たして成っていけるのかな、って。
 
俺の生活ってのは、
そんな周囲の友人たちのくれるビンビンの刺激によって支えられてる部分が果てしなく大きく。
見知らぬ土地に行って、職場と家の往復。
そんな中で得られる物は何?
例えば2年や3年じゃ、サークルやら何やらで、
友達作り始めて、ようやく形になってきたところで、はい、さよなら。
なんて。
継続的な関係ってのは、
同じ物を共有する、職場の人と、
そんで配偶者。
 
それだけの中で、いったいどんな風に自分の価値観を広げて、
そんで、どれだけの信頼関係を築いていけば良い?
 
少なくとも人見知りの俺にはできないなぁ、とは思うわけだ。
 
 
職場と配偶者だけという閉鎖された価値観で満足するのは美徳じゃないし、
いくらいろんな土地でたくさんの人と出会おうとも、
それを長い時間をかけて強固に紡いでいかなきゃぁ、
そんなんは袖擦り合っただけの、他生の縁。
 
 
昔、誰か大人に聞いた話。
学生の頃の友達が一番続く友達だよ、って。
 
でも、そんなの、おかしい。
高校や、大学や、そういう時期にできた友達ってのは、
そりゃぁ、3年も4年も顔合わせ続けるわけだし、
その間に強固に築いた関係は、続きやすいとは思うよ。
 
でも、
社会に出てから新しく知り合った友達だって、
そんなの、条件は、変わらない。
そういう人って、職場と家庭だけの往復になってるんじゃないの?
そりゃぁ仕事もあればさ、
学生の頃のように、新しく知り合った友達としょっちゅう顔合わせて、
ってわけにはいかないかもしれないけど。
でも、それだけが全てじゃない。
せっかく知り合った人と、その縁を大事にしようという、
そんな意識が欠けてるんじゃないの?
方法は、もっと、たくさん、あるよ。
 
せっかく知り合ったんだから、
3年でも4年でも、長い時間かけて、
バカ言って、くだらない話とか真面目な話とかして、
そんで何年経っても、
「ちょっと今日、飲みに行かない?」
なんてやってたいし、
過ぎ去って移ろいゆくもの、なんて、勿体ないじゃん。
蓄積してかないと、そんなのおかしいじゃん。
 
取捨選択をするんじゃなく、
一人でも多くの人と知り合って、
そんで、その全てを大事にしていかないと、
きっと俺はバチが当たる。
って考えてるんで。
自分の中で、やっぱ、それが、基幹。
 
 
だから、知り合って1年やら2年やら3年やらの人は、
これからも夜露死苦。
それ以上の人は、今まで以上に夜露死苦。
 
 
今日は、決め台詞の「愛してくれ!!!」は言わない。
もっと、主体的で能動的なアレ。
ってなわけだ。



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