光露。

November 17 2004 18:33

書き殴る、という言葉が、まさに字面の如く「殴る」という言葉を語源としているのであれば、それはまさに俺のしていることそのものを表しているわけで。
 
だってさ、感情のまま、理性も知性もルーティングしないで勢いで書きつけてるのは、
まさに殴るという行為の本質と同位のものではないかと思ったりするし。
ただ、俺の価値観としては、感情だけの文章というのは、文筆のありかたとしては失格なのではないかというのがあって。
そういう意味では、俺の文章なんつーものは、俺からとってみりゃぁ、書き散らしただけの駄文で。とても刮目して見るには耐えがたいものだとしか言いようが無く。
とはいえ、この羞悪に堪えない行為こそが、俺の精神の均衡を保つ最大の手段であることも事実で。
言いたいことを表現させてくれない社会のシステムの中で、犯罪に当たらない方法で感情を発露できるメソッド。
 
それは世間へのストラグルであったり、
周囲への罵倒であったり、
安易に近付かないほうがいいですよ、という警告であり、
無力でチープで愚かな自分へのシャハーダ。
 
そんなコンプレックスだらけのオマージュ。


Categories: 考える。

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