変わりゆく全てのもの。

November 16 2004 00:56

明茶への鎮魂歌。
 
今、以前にも書いた理由とは全く別の理由で明茶は瓦解の兆し。
もっとも、他の人は誰もそう思ってないかもしれない。
そりゃそうだ、あくまでも瓦解を始めたのは、俺の中での明茶。古き良き時代の明茶だから。
 
おそらくは、活動の時最もテンションの高かったであろう俺も、
今はただバドミントンをして、合間に3~4年生と二言三言話す程度。
というのも、かつては活動に顔を出すほとんどの人に共通してあった、明茶としての紐帯というか、共通のコミュニティ意識というものが、現在の活動の風景の中には存在しないのだ。
良くも悪くも、その場の刹那的な言葉のやりとりのみが応酬されてるだけで、昔のような、相手のことに真剣に向かい、赦し合えるような家族的・牧歌的な空気は失われてしまったのだ。
 
もちろん、サークルというものに、ミントンに集中できるような雰囲気を求める人もいるだろうし、
仲の良い人だけでかたまって、それぞれワイワイやればいいじゃん、って人もいるだろう。
それはそれぞれのコミュニティ論があるだろうから、それに対して肯定も否定もしないし、するべきではない。
ただ、俺ら一期生がゼロから作り上げた明茶というもの、
その持っていた本質が変容してしまっただけのことであって。
カルト的なコミュニティの強い結合力が、組織の肥大化の中で失われて緩い派閥集団に遷移していくのは絶対的な理だから。
ちゃ★まにも北チャもそうだったし、それはわかってることで。
ただ、つまらないノスタルジー。それだけのこと。
 
 
古里は遠きに在りて思ふもの。
帰る故郷の在りてこそ、遠きにて思うこと叶う。
既に故郷を失いし者は何を思うれば良いか。
然り、胸の中の故郷を思うしかないではないか。
願わくば我等の友情や愛情こそ消えることの無かりしことを。
安らかに眠れ。


Categories: 感情。

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