みにっつ・めいど。

February 07 2012 18:26

昨日書いたD濃縮還元120%宣言に、一部の愉快でおかしな人たちから反響があり、たいへん驚いておりますので、それに関してもちっと思うことなどを。
 
 
なんかねぇ、
ミクシが始まった頃って、
ものすごいクローズドな空間だったうえに、
余計な機能がほとんど無くて、すごく純粋なSNSだったわけじゃない?
 
現代人ってさ、
どうしても仕事が忙しくて、
そのくせ職場ではきちんと社会人でいなくちゃいけなくて、
腹割って下らないことや下らなくないことを誰かと話す機会なんて、そうそうない。
 
でもそれをミクシで置いておけば、
誰かに伝えたり、誰かと伝え合ったり、できた。
 
ちょっと思いついた下らないことや、
自分が自分であることや、
悩んでることも、悩んでないことも、
こまごましたことも、こまごましてないことも、
恥ずかしいことも、全部。
 
俺は格好つけるのが嫌いで、
だから何でも思ってること、全部、書いて、
きっとそれはみんなも同じで、
格好悪い自分、格好悪いみんな、
だから、腹割って話せるじゃん?
だから、喜び合えるじゃん?
 
仕事ではさ、
嫌でも格好つけなきゃいけなくて、
一社会人として、上司にも、部下にも、取引先にも、きちんとしてなきゃいけない。
 
ミクシでいろいろ交流が拡がって、
みんないろんなトコで知り合いみつけてはマイミクが増えていって、
中には本気で自分の恥ずかしいトコさらけ出せない相手もいたりして、
そんでそのために、この場でも良心的できちんとしてなきゃいけない自分。
 
なんて、糞喰らえってんだこの野郎。
 
 
昔、いちばんミクってた頃の自分ってのを思い出してみたらさ、
今の自分考えた時、
ずいぶん格好つけちゃってんじゃねーの?
ずいぶん考えて文章書いてんじゃねーの?
 
じゃぁお前、なんのために書いてんだって。
 
 
 
人間なんてさ、
生きてるかぎりは恥ずかしいことだらけなわけでしょ。
だってさ、最初にアダムとイヴが、裸でいることに恥ずかしくなって、
でも俺たち自身は、あくまでも裸の身体なんだからさ。
だったら、いつでも服着込んで、恥ずかしくない格好してるよりもさ、
「恥ずかしいですぅ」なんつって、
恥ずかしがっててもいいじゃん、って。
 
せめて気持ちくらいは、
誰かがデザインして、誰かが縫製した服を着込むの、嫌なんだ俺。
 
 
 
俺の思ってることは、
いつでも独りよがりで、
いつでもバカなことばかりで、
いつでも誰かを傷つける可能性を秘めてるけど、
それでも、いいの。
 
あいつ、いつも独りよがりだな!って、
あいつ、いつもバカなやつだな!って、
あいつ、ホントに最低なこと言ってるな!って、
 
だって、隠さない本物の自分は、
独りよがりで、バカで、最低なんだもの。
だから、
そう思われたって、それは当たり前のことだし、
そう思われたくないからって、自分じゃない自分を演じるの、嫌なんだわな、もう。
 
 
 
だから、あの頃のように、
自分ってのを、
全力で、お見せします。
 
中途半端は嫌だから、
寧ろ実際よりも煮詰めて煮詰まったくらいなのを、ね。
 
 
 
 
 
 
なんかね、
友達の相談を受けることって、そりゃぁ、あるじゃん。
そん時に、普段から仮面かぶってる自分が、
「そうだねぇ、そんな時はねぇ、」
なんて答えるのが、すごく不誠実にしか思えなくて。
 
もちろん、他の人たちはそういうのをうまく使い分けてきちんとできてるのかもしれないけど、
少なくとも、俺には、できない。
それができるほど器用じゃない俺は、人間としては失格なのかもしれないけれども、
だからって、
それをできないのに、できるふりをするのは、すごく相手に対して失礼な気がするんだ。
 
 
俺さ、
今年に入って、みんなとできるだけ会うようにしてて思うのは、
やっぱねぇ、
みんなのこと、好きなんだわ。
 
だから、その縁を大事にするために、
自分は、自分なりに最大限の敬意を持っていたいし、
そのやり方は社会人としてどうなの?と思う人もいるかもしれないけど、
俺は俺なりの、俺が自分で納得できる精一杯のやり方なんで、
そこは笑って赦して下さいましな。
 
 
 
Dは、全力でDでいるんで。
罵倒よろ。


Categories: トンガリ。
  1. wasang

    mixiもなんだかオープンになって、
    へんなとこ隠し始めて、
    いつのまにかただの傍観者になってる俺がいる。
    としとっても良い加減のおっさんでおりたいの

    2012年2月8日 08:47
  2. だい。

    >ワタロ。
    そうなんだよねぇ。
    クローズであるトコと、オープンであるトコのバランスが逆というか。
    良くも悪くも昔は、もっと個々の繋がりを実感しやすいものだったのだけれど。
    ワタロも俺もそう思ってるということは、
    きっと他の大勢も同じように思っていて、
    同じように少しずつ一歩引き始めていって、
    お互いにそれを感じるから、だから希薄になっていく何か。
    せめて、自分だけでも、
    あの頃の熱さとかを思い出してもらえるような、そんなスタンスでいたい。
    のよねぇ。

    2012年2月8日 09:28

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo