因果応報。
今まで、俺のことを好きだと言ってくれた何人かの女のコたちの気持ちが、ようやくわかった気がする。
人は、
心の中に永遠の誰かを棲まわせてはいけない。
それは、
未来を閉ざす、
意図的に足を止めることにすぎない。
自分にとっても、
誰かにとっても、
それは不幸なことだ。
心の中の誰かは、
心の外にはいない。
現実は、
一秒一秒、
圧倒的な力で人を押し流していくわけで、
その世界の中で、
変わる景色と共に、
立って歩いていかなければならない。
今いる場所が今歩いている場所で、
それは心の中の場所とは違うのだ。
今ある現実を、
これから来たる現実を、
その変わりゆく景色の中で、
どう立っていくか、
どう歩いていくかが重要なのだ。
進行形を否定して、
過去形の時制の中でだけ生きることは、
それは現在の自分を正しく見ていない、
現在の景色を正しく見えていないということで、
時系列のどこか1地点に、
たった一人で棲んでいるだけだ。
現在に生きていない人に、
いくら現在を説いても無意味。
なぜなら、
現在に生きない人にとっては、
現在の景色こそが虚業なのだから。
それは、
誰にとっても不幸なことだ。
誰にとっても不幸なことだ。
俺は、
そんな不幸を振りまいてきた。
今、同じだけの報いがやってきている。
それを受けた人がいるのなら、
俺もそれを受けなければいけない。
それが確実に、
俺が生きていく上で背負わなければならない十字架だということは気付いた。
だということは気付いた。