標柱を辿って。

December 15 2018 02:35

好きとか、いいとか、
そういう単純なことじゃなくてさ、
明確に、本当に明確な意味で、
自分の価値観とか性格とか、
そういうのをひっくるめて、
要するに「人生」そのものを変えた曲ってのが何曲かあって。
 
そのどれか1つにでも出会わなかったら、
今の自分とは全く違う性格だったと思うし、
そう考えると、
本当に自分にとってはとても大切ないくつかのナンバー。
 
 
(1) BARBEE BOYS 「chibi」
10歳の時かな?BARBEEと出会うきっかけとなったナンバー。
クラスのみんなが光GENJIとかそういうの聴いてる中で、
独自路線で音楽沼にハマっていったのはここから。

 
(2) ZIGGY 「SING MY SONG (I JUST WANT TO SING MY SONG)」
11歳の時に、完全にロックにハマったのはこの曲のせい。
今聴いても森重さんの歌の上手さは異常。

 
(3) 有頂天 「サボタージュ」
たぶん11歳の頃。
人生に大きな影響があったのは「BYE-BYE」よりもこっち。
いわゆるマトモな音楽だけじゃなく、
アバンギャルドなものをどんどん好むようになったのはこの曲のせい。
つまり、有頂天好きで宝島好きだった姉キのせい。
よくやった!

 
(4) COMPLEX 「RAMBLING MAN」
ZIGGYや有頂天と同じく小5の頃。
この曲にどっぷりハマったせいで、吉川のファンクラブに入るほどの吉川ファンに。
俺の生き方は吉川から多大な影響を受けてるので、
このナンバーに出会ったのはそうとうな岐路。

 
(5) A-CHIEF 「I love you, forever」
イカ天が好きで好きでバンドやろう!と思ったんだけど、
その中でもいちばん俺のバンド結成へのモチベを高めたのは実はA-CHIEF。
実は長髪に憧れてたんだな俺。
んなわけで、中学校に入ったあたりから曲作りを始めました。

 
(6) MELA 「HELP ME」
中3の頃。
それまでもちょこちょこ洋ポップやソウルは聴いてはいたものの、
姉からもらったThat’s EUROBEATのテープのおかげでユーロビートにハマる。
高校に入るとユーロのプチブームが来たので、周囲にユーロ聴く人はいたけど、
だいたいはSUPER EUROBEAT派で、That’s派は皆無。
ここからクラブミュージックへ入って行ったという意味では、
That’sの存在はデカかった。

(7) AQUA 「MY OH MY」
たしか高3の頃。
何がきっかけだったか忘れたけど、この頃からいわゆる外資系レコード店に入りびたりになってて、
その中で発売したばかりのAQUAの1stアルバムを偶然視聴してドハマり。
もともとACE OF BASEが好きだったのもあって、完全にスウェディッシュばっか聴いてた。
レコード店でのいいCD発掘癖の端緒になったやつ。

面白くなってきたし長くなってきたので、
続きはまた明日。


Categories: カルチャーの嵐。

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