ライト・マイ・ファイア。
素敵なひとより、
興味深いひとでありたい。
そんなDの秋の夕暮れ(四夕の歌)。
最近また、
マトモな時間に家に帰れなくなって思うことは。
人間がそうなのか、
男がそうなのか、
それとも俺だけがそうなのか、
忙しすぎると、
心に余裕がなくなるな。
そして、
心に余裕がないと、
自分が自分を好きでいられる、
なんつーか自信みたいなものが薄れるのだな。
そいつは、
いかん。
俺が俺を好きでいられなくなったら、
そんなんはDではないのだ。
絶望は、
死に至る病である。
と、
キェルケゴールは言ったけれども。
俺は少なくとも絶望する性質ではないけど、
希望というものは、
結局は自信から生まれるものであるわけなんで、
希望も、
絶望も、
どちらも無いとしたら、
そんなのはカナシイじゃないか。
江川裕史は、
ぼくのタマシイ、きみのカナシイ。
と言ったけれども、
最大のカナシイは、
タマシイがアクティヴじゃないからなんだぜ。
そうなんだぜ。
ハートに火をつけろ!
なんてくさい言葉、
あながち、
間違いじゃない。
残業手当がつかない会社で、
何で月60時間以上残業してんだよとか、
総務事務で入社したのに、
何で営業とシステム開発ばっか今やってんだよとか、
まぁ、
探せばいくらでも不満はあるけどさ、
そんなん口に出したって、
俺のタマシイがアクティベイトするわけじゃないんで。
そんなんぐちぐち言ってるより、
実際んトコ、
ハートに火をつける方法は、
いくらでも、
ある。
チャッカマンだってどんなんだって、
湿ってたら火がつかねってさ。
じゃぁ、
湿ってんじゃねぇよ、
って、
単純じゃん?
湿ることだってあっても、
いっかい湿った後の紙とかってさ、
やたら燃えやすいんだぜ。
だったら、
湿ったことに、
自信持ちゃぁ、いい。
ホント、
単純な話。
コンサドーレのチャントの1つに、
さぁ行け札幌、
カルナヴァルの始まり
歌い叫び狂え、飛び跳ねろ
抑え切れぬこの情熱は、
たとえ敗れようと変わらない
ってのが、ある。
敗れたからって、情熱を抑えてしまうなら、
次の試合からは、
ずいぶん味気ないじゃん。
って思うのさ。
ハートにさ、
火でも何でもいいからさ、
つけちまえよ!
とかって思う、秋の夕暮れ(四夕の歌)。
さぁ、
仕事すっぞー。
お疲れ!
自信ない→希望ない のスパイラル
>マサーコ。
おまいは自信持て!
才色兼備のいいヲンナなんだから。