価値観という価値。

December 04 2005 02:00

自分の価値観を明確に持っているということは、
他人の価値観をシャットアウトするとか、
不可侵な聖域のように振る舞うこととイコールでは無い。
 
本当に自分の価値観を持っている人間は、
その視野をよりフォーカスしたり、ベクトルを補正すべく、
他人の価値観を寧ろ積極的に吸収したがるものだ。
何故なら、彼らは個々の価値観は個々のものに過ぎず、
それを他人に敷衍することが無意味だということを知っている。
そして自分の中だけのものはすぐに飽和して腐食することも知っている。
だから、他の物を取り入れることによって、
自分の位置が、方向が正しいのか間違っているのかを比較・判断するのである。
 
一方、他人の価値観や意見を聞こうとしない人間は、
自分の価値観を持っているのでは無い。
その人間の周囲の価値観という非道く限られた狭いコミュニティの規範を、社会の通念だと錯覚しているだけだ。
もしくは、他人の意見を否定したいだけのガキんちょかどっちかだな。
 
価値観というものは、固定できるほど容易いものでは無いし、
絶えず新陳代謝を繰り返しながら自分の中の美意識と相互の問いかけを続け、人生の中で胎動するという、そんなものだ。


Categories: 考える。

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