傷だらけは眠らない。

August 08 2005 22:04

自分の取っている行動一つ一つの答えは、結局自分で出すしかない。
それは他人のどうこうできるものではなく、
あくまでも自分の責任に帰すべきことだからだ。
 
だから、何か迷う選択があれば、必ず直感・感性でいいと思った方を選ぶ。
感性の命じるものは、つまりは自分が無意識的に自分にとっていいと思えるものだからだ。
理性なんてくだらない障碍のせいで、
「失敗したときのデメリット」だとか、
「成功率がどうだ」とか、
そんな余計なファクターを片皿に乗せちゃって天秤にかけるわけだけど、
そんな計算の上に得られるものなんて、結局は生暖かい戦利品だけで。
 
そんな面倒なこと考えねーで、
いーじゃん、成功率が限りなくゼロに近かろうと、
失敗したときのデメリットがとてつもなくデカかろうと、
「手に入った時にどうか」ってことを第一に考えればいーんじゃねーの?
いろいろなことを考えて、一番じゃないものを選んだって、後には結局一抹の後悔は残るよ。
でもそれを認めたくなくて、
「自分の選択は正しかった」って思い込もうとするだけじゃん。
そんなもの抱えながら、何見て生きていくのさ。
自分の選んだものを真っ直ぐに見つめられなくて、
でも精一杯やってます。なんて、それは傷を舐めてるだけだ。
 
一歩を踏み出そーぜ。
踏み出して出来た傷なんてのぁ、そんなんは大したことじゃねーんだ。
キェルケゴールも言ってる通り、死ってのは精神の上にやって来る。
ズタズタに切り裂かれたって、笑って仁王立ちしてやろーぜ。
さぁ何でも来い、ってな。
後悔無く生きるってのは、そーゆーことかな、と思う。


Categories: トンガリ。

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