砂の、果実。

April 03 2012 17:50

何年か前までだったら、とっくにキレているであろう言動に対し、
きちんと表面上は自制できるようになったってのは、
たぶん会社人として10年近くやってきたことの成果なのだろうな、
と思う。
 
 
まあ要するに、キレたり何だったりしちゃったら、
場が大変な状況になるのもわかってますよ?
と思えるようになったのが、
ヲトナになったということなんだろな、うん。
 
 
 
大嫌いなのは、
事実でもないのに決めつけることとか、
相手への敬意を欠く言動だとか。
 
 
人間と人間のコミュニケイションってのは、
どんな仲であっても、
絶対に敬意がベースになっとる。
 
例えば、誰かのことを(その人がいる場で)からかったりすることは、ある。
ただしそれは、相手への敬意と愛情の下に、その場をより円滑にすることを目的としてのみ許されることであって、
その結果として、そのからかう相手が、その場で最も輝くというか、愛すべき存在であることを共有できるような結果にならなければいけない。
 
そこん所を蔑ろにして、
相手を貶めるだとか、自分が上と思おうだとか、
そんな敬意を欠いた奴には、
本気でキレちゃったりしちゃうわけですけれども。
 
 
俺は、性格悪いんで。
博愛主義者でも、
平和主義者でもないんで。
 
自分の仲間だと思う人には、全面的100%の敬意を、
自分の敵だと思う人には、全面的100%の敵意を、
そういうポリシーで若い頃はいつもいたんで。
 
仲間ってのは、
敬意を持ち合えるもんだと思ってるんで。
じゃあ、
それを欠いたら、
もう敵じゃん?
って。
だったら、
やっちゃうよ?
って。
 
ずっとそういう単純な二元論でやってきて、
まぁ実際のトコはそれは今でもたいして変わってないんだけど、
俺がキレることによって、
それで嫌な思いとかする人がいたら嫌だなって。
それくらいの分別は付いた。
 
33にもなって、今さらだけどな。
 
 
 
でもね、
やっぱり、敵とか嫌なの。
 
本当は、
いつだって、らぶでいたい。
 
せっかくさ、
生きてるんだからさ、
できるだけ全てのものを肯定的に見ていたいじゃん。
 
だから、
誰もが、誰もに、敬意を持ち合えるような、
そんなんばっかりだったらいいのに。
 
 
俺がこれ以上、ヲトナにならなくても、
それでも過ごしやすいような世の中になりますよーに。
 
という限りなき他力本願。
 
 
 
 
どんなに鬱陶しくても、
少年くさい誇りは、持ち続けていたいのだ。
どんな風であっても、
恥ずかしい大人だとは思わないけれど。


Categories: トンガリ。
  1. ひな

    いぢるなって事ですか???

    2012年4月3日 19:36
  2. だい。

    >ひな子。
    好きにすればぁ?(笑

    2012年4月4日 00:04
  3. ひな

    ふーん。

    2012年4月4日 00:18

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo