善良で極悪な32歳の抱える倫理的不道徳メソッド。

September 29 2010 18:24

思えば子供の頃から、
「他人を見下さないように。他人を尊敬するように。」
と教えられてきて、
それは少なくとも、
およそ通常の日本人が持つ共有の価値観であるように思えるけど。
 
 
気付いたら僕は、
いつでも他人を尊敬していたし、
いつでも他人を見下していた。
 
 
僕は、子供の頃から、得意なことと苦手なことがはっきりしていた。
 
勉強は大嫌いだったけど、それでも学業はいつでも優秀だったし、
いろいろなことを計画して、作り上げるのも得意だった。
 
でも、
スポーツが大好きなのに、友達と比べて全然上手くできなかったし、
みんなで仲良くしたくても、人と仲良くなるのがとても苦手だった。
 
 
だから、
スポーツができる人や、
誰とでも仲良くなれる人を見ると、
すごいなぁと思うし、羨ましくもある。
 
 
でも同時に、
自分にはそのぶん、これができるんだぞ、
という気持ちも生じたりもする。
 
 
結果、
自分にはあの人ができないこれができる。すごいだろ。
あの人は自分ができないあれができる。すごいなぁ。
そうやって、
いつも思う。
 
 
所属してるサッカーチームで、
チームメイトのことをいつもすごいすごい言ってる僕のことを、
みんなは「いい人だ」と言う。
 
でも、僕はいい人なんかじゃない。
「他人を尊敬する」気持ちの裏にはいつも、
「他人を見下す」気持ちがコバンザメのように付いて回ってる。
 
 
 
昔付き合ってたコがいつも言ってた。
私は何もできないから、他人に迷惑をかけてばかりいるダメな人間だ。って。
私は頭が悪いから、頭のいい人を憎く感じる時がある。って。
 
本当は、そのコは、僕から見て、
平均よりもずっとずっと頭の良い、何でもできるコだったけれど、
ちょびっとだけ、自分に自信が無かったんだなぁ。
 
 
 
僕はいい人なんかじゃなくて、
自分ができることの故に、自分ができないことをできる人を愛することができる。
そんなどーしょもない人間で。
 
少なくとも僕には、
「他人を見下すな。他人を尊敬しろ。」っていうのは、
無理だよ。
 
100%相手を仰ぎ見る行為は、100%自分を卑下する行為。
 
自分を愛せずして、他人を愛することは、
僕にはちょっとむつかしい。
 
 
宗教家には、なれないな。
 
 
 
でも、
阿Q正伝の言ってることは、
あながち間違いばかりでも無いんだぜ。
 
 
物事は、
足してみりゃ、いつもイーブン。


Categories: 思う。, 自分という存在。
  1. リサ

    読んだら
    なんだか泣けてきました

    2010年9月29日 20:56
  2. だい。

    素的事。
    泣くってのは、
    少なくとも自分と向き合えてるってことなんだぜ。

    そんな自分を大事にしてね。

    2010年9月29日 23:49

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