読書D人。
昨夜、帰ってきてご飯食べてTVをつけてみたら、
アメトーークで読書芸人をやってたので何気に見ていたわけなんだが、
どうも納得いかない部分が沸々と。
出てた人みんな、
小説の話しかしないのな。
そういえば、
読書好きといわれる人の大半は、
小説メインの人が多いというのが事実。
読む本の9割はルポ、ドキュメンタリー、新書、ビジネス書で、
フィクションは古典ミステリしか読まないDは、
読書好きには入れてもらえませんか、そうですか。
【Dが昨年12月以降に読了した本】
「オシムがまだ語っていないこと」原島由美子(朝日新書)
「日本サッカー偏差値52」杉山茂樹(じっぴコンパクト新書)
「「決定力不足」でもゴールは奪える」杉山茂樹(双葉新書)
「日本サッカーと「世界基準」」セルジオ越後(祥伝社新書)
「4-2-3-1 サッカーを戦術から理解する」杉山茂樹(光文社新書)
「検索バカ」藤原智美(朝日新書)
「新聞社 破綻したビジネスモデル」河内孝(新潮新書)
「サッカーとイタリア人」小川光生(光文社新書)
「日本人はなぜシュートを打たないのか?」湯浅健二(アスキー新書)
「病とフットボール」高原直泰(角川SSC新書)
「適当論」高田純次(ソフトバンク新書)
「最後の新聞 -エル・ゴラッソの成功-」山田泰(ワニブックス新書)
「イビチャ・オシムのサッカー世界を読み解く」西部謙司
「学ぶ人 オシムに学ぶ」週刊サッカーマガジン編集部・編
「敗因と」金子達仁
…まぁ、偏りすぎだからな。。。。
とはいえね、
文芸の好きじゃない人間にも、
本を読むのが好きな人間はいるのよ!
それはわかってほしいぬぁぁぁ。
「読書が趣味です」ったら、
「どんな作家の本が好きなの?」みたいな。みたいな。
そんな風潮!に!NO!を!突きつけろっっっ!
現代作家なんて一人も知りませぬーーテヘーーーー
そんな僕でもコーチャンフォーの上顧客なんです…
まぁなんだな、
俺の言いたいことはアレだな、
「読書好き」って言ったら、
小説読んでるみたいに思うのやめてよ、
ってことだな。
例えばほら、
「旅行好きです」っつって、
「どこの国行った?フランスとか行った?」とか言われてもさ、
「俺、道内専門なんすけど…」
みたいな感じ?
年に10回以上道内旅行してるんだから旅行好きっつったっていいだろ!
とゆー類のことを、
いろいろと思うところがあったりするわけですよ。
そんなことをこの時間に思うDはヤサグレン。
偏った性格のフィクション好きは、どうして小説をばかにしやがるんだ…と憤っております(笑)
小説なんて嘘じゃん、事実のほうがおもしろいじゃん、とかいって。
ノンフィクションや実用書も、書き手の意志で事実を切り取られて、再構成されていることを意識せずに読むひとは、読書しているとは呼ばないなあ。
だいくんは“読書”してると思うけどね。
読書芸人面白かった!
小説大好き人間だから。
小説は想像できるのが好きです。
だいは読書好きより何よりサッカー好きだね
>まこ氏。
そういう意味では、俺は本を読み始めた入り口がホームズとポワロと、
そして何よりもルパンだからね(笑
毒喰ってもピンピンしてたり、超人的なアルセーヌに胸ワコワコさせてた俺としては、
むしろ現代の小説が事実的すぎて物足りないくらいだ(笑
漠然とノンフィクションを読んでる「だけ」の人は、
リテラシーの意味において、読書の仕方を間違っているってのは確かだね。
結局は所詮断片的な情報をいかに自分の中で蓄積して、
自分なりの真実に近づけるよう「噛み砕いていく」かが重要なのであって、
それはフィクションでもノンフィクションでも、もちろんインターネッツでも同じ。
だからこそ、
フィクションもノンフィクションも、同じ枠で論じなきゃいけないと思うわけなんだけれども、
どうしても文芸とルポを分けちゃう人がこの世には多い。
そんなことないんだけどねぇ。。
>リサリサ。
現代小説では、登場人物のほぼ全てが、
俺と価値基準や行動様式が違いすぎて、それがイライラしちゃう。
「俺、こんなやつ嫌いだよっっ!」って。
没入しすぎちゃうのかなぁ。
否定はしないが、
サッカー関連の本がここ2ヶ月多かったのは偶然だよ!(笑
普段はもっと社会問題系が多いだ…
「適当論」が光って見えた(笑)
適当シリーズ万歳(笑)
偏っていようがいまいが、人が一生懸命したためた書からいかに学び取るかが重要だっ!だいさんの姿勢に好感。
>ケスコ。
注目点そこ!?(笑
>ちち子。
みんなで適当に生きようぜ!
>タカパチ。
おまいも読書家だからな~。
本は思索の種に過ぎないから、そこから何を感じるかが大事で、
そうであればどんな本であるかは問題じゃないからねぇ。