世間一般の共通認識との角度の大幅なズレについて思うこと。

July 01 2007 16:04

昨夜少しだけ時間を割いて話したことの詳述。
 
 
俺はねえぇ、はっきり言っちまえば、極度の欠陥人間です。
それはたぶん、自分が一番最強にわかってるので。
 
昨夜も言ったけど、最大の問題なのは、
その欠陥というのが、ひねくれてる方向の欠陥ではなく、
まっすぐすぎるという欠陥なんだと思う。
 
俺は俺。
この場に両の脚でただ立っていることしかできないので。
その立ち方を、周りに合わせようとは思わないし、
誤解を避けるために取り繕おうとも思わない。
スタンスは、俺の、俺による、俺のためのスタンスなので。
 
ただ、その価値観というのが、あまりに周囲と違いすぎるので、
たぶんそこで軋轢が生じるのは知ってる。
 
俺は、誰にでもまっさらに向かい合うことしかできないし、
俺は俺だし、キミは君★(ナイス橋本)だし、
そこに人間の社会生活上の特定の関係枠を生じさせることができないので。
 
個々が俺との関係性を規定するものであって。
特定の言語枠をまず設定して、そこに各自を落としこもうとは思わないので。
 
 
世間との価値観の一番の相違がその部分なのは重々承知していて。
それがいろんな誤解を与えて、ものすごい摩擦を起こして、
摩擦係数が高すぎて軋んで火を噴いたりすることは、よくある。
そうやっているのが好きなわけじゃなくて、
俺は太陽の塔のようにただここに立っているしかできないので。
 
そうやってたくさんの人を傷つけて、
それは本当に俺もすごく心苦しく思ってるところではあるんだけれども、
でも、本当に申し訳ないけれども、
自分の価値観は変えろと言われて変えれるものではないわけだし、
表面的にでも適当に取り繕うことってのは、
それは俺がこうやって生きてきた28年と10ヶ月をまるまる否定することなので。
それは俺にとっては死も同然なので。
活きたいからこうやってきたので。
ただ生きたいわけではないので。
 
 
人間が、人間との関わりの中で生きてるのは当然。それは大前提。
そうして世間一般の共通認識としての様々な言語規定があるわけなんだけれども、
俺はそれを是とできなかったという意味での致命的な欠陥。
 
この人はこういう関係だからここまでしか大事にできない。
この人はこういう関係だからここまで大事にできる。
 
そんな区別は、俺は、嫌だ。
 
 
人間と人間の関わり方は一様じゃないし、
みんなそれぞれ違う人で、違う考え方があって、
じゃあ、各自と俺の間に生まれるものってのも、千差万別に決まってる。
 
そこに制限を設けるやり方。
そんなものは、人間が長い社会生活の中で、
誰から見てもわかりやすい人間関係を作ろうとした、客観先導のやり方。
 
俺は主観がいいので。
誰から見ても何もわからないアレコレでも、
それは誰に何を言われる筋合のものでもないし、
ありのまま、全てを剥き出しでやってくしか俺はできないので。
 
 
 
何も隠そうとは思わないので。
いい顔をするつもりもないし、
人に認めてもらおうとも思わないし。
 
普通じゃない自分をさらけ出すっていう生き方、
生きにくいっちゃぁそうなんだけどさ。
 
 
トンガリ’07。
刀身剥き出しでごめんなさい。
ホントにそれは申し訳ないと思ってる。


Categories: トンガリ。

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