ニュースコメ7。
北日本新聞より。
高岡南高校(高岡市戸出町、篠田伸雅校長)が昨年度、一部の生徒に地理歴史の必修科目「世界史」の授業を行っていなかった問題で、現在の三年生百九十七人全員が、二科目履修すべき地理歴史を一科目しか受けておらず、卒業に必要な単位を満たしていないことが二十四日、明らかになった。同校から県教委に二科目履修するとした虚偽の教育課程編成表(カリキュラム)が提出されていたことも分かった。生徒たちは冬休みなどを利用し、十二月末までに卒業に必要な授業を受ける。
高岡南高校は二十四日、県教委に経緯を報告。県教委は早急に必要な授業時間を確保するよう指示した。篠田校長は記者会見し「生徒の受験勉強が効率的になると期待したが、誤りだった。生徒らに心からおわびしたい」と謝罪。今回のようなケースは過去にはなく、現在の二年生からは一部の教員から「おかしい」との声が出て要領通りに戻ったという。
学習指導要領では、地理歴史は世界史が必修で、日本史か地理から一科目を選んで履修することになっているが、県教委によると、同校は三十二人に世界史、七十一人に日本史、九十四人に地理だけしか授業を受けさせていなかった。
同校は、過去の生徒たちの「受験に必要な科目しか勉強したくない」との声を受け、平成十五年に校内の教育課程委員会で検討。「日本史や地理の中に世界史の要素もあるため、二科目分の単位が認定できる」と判断した。一科目の授業しか行わないことを決めながら、県教委には、学習指導要領に沿った内容の教育課程編成表を提出していた。
不足単位は、七十時間(五十分授業で七十回分)に上る。同校は「七限目や冬休みなどを活用し、十二月二十八日までに必要な授業を終えたい」としている。
進学資料の基となる生徒指導要録には、授業を行っていない科目も履修済みとして単位が記載されていた。同校によると、二十四日現在で推薦入試を希望する生徒は五人で、内訳は私大が三人、専門学校が二人。既に三人が受験したが、受験時の資料となる調査書には、教員が履修していない世界史の点数を書き込み、試験に臨ませたという。うち二人は合格した。篠田校長は「卒業までに履修させることを説明し、大学側の理解を求めたい」と述べた。
人間に社会性を身に付けさせるのに最も重要な地歴公民を教育側が蔑ろにしている現状、そりゃぁ社会性の無い大人ばっかりどんどん生産されるわけだ。
ある物を正しく理解するためには、それ自身のことと並んで、それが他とどう違うのかを理解する必要がある。他との違いがわからなければ、単なる近視眼で、何も見えていることにはならない。
日本を知るためには、他の国とどう違うかを知らなければ、そんなんは何もわかったことにはならねぇし、逆もまた然り。
そんなんもできずに微分がどうだの、シルル紀がどうだの、ヴァン・アレン帯がどうだの、エントロピー増大がどうだの言ってたトコで、そんなん何も知らずにただ何かに流されるだけで正しい物の見えない奴なだけじゃん。
この国の最大の病巣は教育だ。
「受験に必要な科目しか勉強したくない」
わからなくもないけど、
勉強って本来そういうものじゃないと思うんですよね。
国立大落ちて、私学に行って、
1番??と思ったのがそこでした。
>エリにゅん
そうなのよね。もともとの目的が顛倒してる。
世界というものを把握し理解するための勉学であったはず。
松下村塾で、高杉は、伊藤は、久坂は、山県は、そうやって何が問題で何が理想かを学んだわけだし。
今は受験のための「攻略法」でしかないから、結局お金ベースでしか物事を考えない人間ばかり。
あぁ退屈だ。
確かに、
「知識だけあってもそれを何らかで活用できなければ
意味が半減する」
「生活するうえで必要がない」
かもしれない。
でもそれって、知識も無い人が言っていいセリフ?
って思います。
触れたことがあるかないか、経験したことがあるかないか
大きな差だと思っているので。
ただ、勉強を教えてもらえる時間は限られているので
学校が広く深く教えるのは物理的に不可能ですよね。
本当に深い問題・・・。
学校が悪いと言っても、学校だって経営しなくちゃいけない。
学校の仕組みが変わって受験体制が変わっても、
それに対応するためには、生まれたときからの環境、
特に家庭の経済状況が関係する。
そう考えると、この格差社会を考える必要がある・・・。
なんていうか。
色々な要因が絡み合って。
だからこそ日本の政治をもっともっと真剣に考えないと
いけないと思いました。
とりあえず、勉強ができること、与えられることの幸せを
噛み締めて生活します。
最近、漫画と言い政治絡みの話と言い
私も漠然と感じていたモヤモヤが話題になっていて
勉強になります。
エリchanいいこと言った。
>でもそれって、知識も無い人が言っていいセリフ?
>って思います。
>触れたことがあるかないか、経験したことがあるかないか
>大きな差だと思っているので。
要するに、「生活するうえで必要無い」と言う輩は、結局は「知識」というものを生活に必要無いものだと思ってるわけよ。逆に言えば、じゃあどんな知識が生活に必要だというのかというと、「受験に使うもの」「仕事に使うもの」とかでしかないわけで。
要するに、知識を金や成功の手段としてしか見てない。それ以外の専門外のことなんかは全部、必要無いって言ってるみたいなもので。
なんて狭い視野。
生涯学習の時代。
勉強は教えてもらうものじゃなくて、自分でするものだよ。
学校は、浅くでもいいから広く教えて、門戸を拡げたほうが良い。というか、どんな知識も、一見関係無いような分野のものとでも複雑に絡まり合って、はじめて見えることのできる角度もある。だから、ある一部のトコだけを深く掘り下げて「俺は専門家だ」なんつってる奴ぁ勘違いも甚だしいわけで。
知識ってのぁそんなもんじゃない。広く、そんで全体を少しずつ深くしていくしか、深い知識を得る方法は無い。だから、学校である程度の基礎を作っちゃって、そんで後はそれぞれのやり方次第。
そうなんよ。
学校だけが悪いわけじゃない。
遡って考えれば、それを否としないような教員、保護者を作り上げた、その前の段階の教育が悪い。
実際のトコ、経済状況が問題なわけでは無いと思うんよね。
寧ろ、総中流だった一昔前の弊害が出てきてるのかな、って気がする。
急激に価値観が多様化する社会とのバランスというか。二極化が進んでるよね。
価値観の多様化のほうに行っちゃった人は、成功のための勉強ではなく、自分のための勉強に完全に行っちゃって、世間のレールとは外れた隠遁生活のほうに向かうし(俺のような)、そうじゃない人は、寧ろステータスとかに異常に執着して、自分のアイデンティティをエリート意識に求める中で、学歴やら社会的地位を渇望する。
親の考え方でけっこう子供がどっちに行くかは左右されると思う。
本当は二極化じゃなく、もっと放射状に広がっている状況じゃないといけないんだけど。