存在証明。

August 12 2018 23:10

大事にしたい症候群だから、大事に守るべきものが無いと、自分の意味や、目的や、そんなこんなのナンヤラカンヤラが失われて、そこに空虚な自意識だけが残る。
 
人間なんてたいして都合のいいものでもないから、記憶を忘れることはあっても、消し去ることはできない。見たくない思い出は、忘れるまでの間、見えないようにシーツをぐるぐる巻きにして頭の部屋の隅っこに放置するだけだ。でも、大きければ大きいほど、どうやったって、視界に、入る。
 
大事に守るものがなくなって、大事に守るものが残していった、ぼくの大事にしたい気持ちだけが蜘蛛の糸のように垂れ下がってブラブラしてて、でもその釜の中は、からっぽ。
釜の蓋をそっと閉じてもさ、その置き場所が見つからないんだよね。
 
 
今日、ようやく部屋からあの子の荷物を運び出して、本気で一生大事に守っていこうとぼくが思って、一生大事に守られていこうとあの子が思っていた頃、その頃の残滓が全て無くなって、大部分が空っぽになったぼくの寝室に、二人で眠ったベッドがポツンと残ってる。
 
そのベッドは、そこしか置き場所がない。
 
 
ぼくの寝室は、
今のぼくそのもので、
早くたくさん飾り付けして、
早くたくさんのものを置いて、
そして誰かと眠った時に、
ぼくの寝室とぼくの自意識は色を取り戻すかもしれない。
 
そんな淡い期待だけが今の自分の意味。


Categories: 思う。, 自分という存在。

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