愛してる。
「愛してる」という言葉。
英語で対照させると「LOVE」なわけであるが、
これをまた日本語に差し戻す時に、
「愛してる」から、
「すき」「だいすき」まで、
いろんな表現が考えられるわけなのだが。
俺が中学校か高校の頃、
「愛してるよ」
というドラマがあった。月曜ドラマ・インだ。
トシちゃんが主役で、
決め台詞が「愛してるよ」なのだ。
夜の帳が二人を包む中、囁くように言うわけではない。
これまた、なんかかんかの際に、
誰彼無く、爽やかにキメてしまうのだ。
なんて「愛してる」が似合う男なのだろう。
と青春真っ直中の純情ロマンティシストだった俺は、感心したものだ。
こんな大人に俺もなりたいと思ったものだ。
しかし、
最近思ったことがあるのだ。
この「愛してる」という言葉。
米米やBAJI-Rはじめ、ものすごくたくさんの人に使われてきたこの言葉が、
最近市民権を失いつつあるような気がするのだ。
ジュテェ~ムな感じのねっとり感が敬遠されているのか、
それとも「愛してる」が似合う、
ダンディズムを醸し出す色男が絶滅しつつあるのか、
その理由は定かではないが、
少なくとも俺の周囲は「すき」派が圧倒的である。
若人の頃にトシちゃんに憧れた俺様にとって、
これは憂うべき状況だ。
「すき」なんてお前そんな。
「わーい、ハンバーグだいすきー」
みたいなアレでお前、どうして。
まぁ、少なくとも俺はそんな言葉を言った記憶も遙か遠い悠久の彼方であり、
今後言う見込みも、蜃気楼の如く遠い久遠の情景なので。
こんな俺と違い、言う機会がある人は、
たまには「愛してる」で愛を囁いてみてくれ。
さてそこで最大の問題。
人間には、
「愛してる」という言葉が似合う人と、決定的に似合わない人がいるのだ。
「愛してる」が似合わない人が言ってしまうと、
思わず失笑なのだ。
愛してる人の愛を失ってしまうのだ。
これはいかん。
その場合は「すき」で我慢したほうが無難であるから気をつけられたし。
風味堂の「愛してる」、岡村ちゃんの「だいすき」は似合っていると思う。
愛してる、か……何もかもが懐かしい……。
俺もさ…(遠い目)