誰ぞやが6日ほど前に綴った文章についての一考察。

September 27 2005 21:03

全面的に否定されるべき人間なぞ存在しない。
同様に、全面的に肯定されるべき人間も存在しない。
人間なんてものは、一面的なものでは無い以上、肯定されるべき部分と否定されるべき部分は必ず両方とも存在する。だから、いいものはいい、悪いものは悪い。それでいいじゃないか。
どんなに自分が自分のことを否定的に見ようとも、そんなもんは自分の中の一面を見ているに過ぎない。案外、他人には自分のいいトコが見えてるものだったりもして、それはそれで納得できるかどうかは別として、理解はするべきなのだろう。そしてそれは親しい人からのものであれば尚更。人間、いかにどうこう考えて、いろいろ取り繕ったり何だったりしてみても、そんなもんが通用するのは一時的なものだけで、長く付き合ってりゃぁ、どうしてもいいトコと悪いトコのバランスってのは、無意識に表出してくる。そんで悪いトコとかも踏まえた上でいいもの見てるわけだから、それは結局自分が見てる自分なんかよりずっと真実だったりして。
そう考えれば、ある意味では自分で自分のことを何らかの考察やら客観的な観察やらをする意味など無いとも言える。そこには必要以上の自意識のフィルターを通した景色しか無い。だから、自分を総体的に肯定も否定もせず、どちらでも無くどちらでもある、そんなありのままを何も考えずに受け入れていくしか無いのだ。時に自分を盲目的に肯定して、時に自分を破滅的に否定しきって、その混在のバランスこそが、人間の面白いトコじゃねーか、と俺は思うわけだ。


Categories: 考える。

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