他者の常識と自己の価値観との間に立ち聳える境界の壁に悩める者へ。

June 27 2004 23:03

結局は、他者に対する思いやりの気持ちと、自己に対する呵責の感情こそがその根源なのであって、その二つの要素の導き出す結果として、自己を曲げざるを得ない、ひいては自己を見失う所にまで行き着くのだと思う。
でもそれは同時に「他者への思いやり」という人間が最も誇るべき美徳を自分が備えていることに気付かなくてはいけない。
自己嫌悪に慣れすぎた心は、何らかの理由を頭の中で捻り出して「そんなことないし」なんて否定しちゃったりもするけど、でも、見る人が見ればわかる。わかるから。
そんな部分を持った人間ほど、他者との関係の中で傷つきやすく、また同時に、そんな自分に気付きにくい。
人間なんてみんな利己的なもので、自分の価値観だけを物差しにして、他者の価値観の存することすら忘れたりする。
そんな中で、他者の価値観の存在を痛いくらい気付いてるからこその「自分を曲げる」という無意識の行為。
 
いいのにさ。もっと自信過剰で。もっと攻撃的で。もっと傍若無人で。
それは決して悪いことなんじゃなくて、理解されにくいだけ。
だから。


Categories: 人はいつも。, 思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo