2feet。
手が届かないように見えるのは、
手を伸ばさないからだ。
手を伸ばしてみりゃ、
あ、意外と近くじゃん!
なんて気付いたりして、
そしたら後は一歩や二歩。
手が届かないように見えるのは、
手を伸ばさないからだ。
手を伸ばしてみりゃ、
あ、意外と近くじゃん!
なんて気付いたりして、
そしたら後は一歩や二歩。
全てを失ってのたうちまわるのも良い。
きっとそれを踏み越えた後に手に入るもの、
それが自分の一番欲しいものだと思う。
傷ついてもう立ち直れない、なんて言っても、
意外とちょっとしたきっかけで傷なぞ癒える。
傷を舐め合って生きるというのも、それはそれで良い。
その結果としてお互い前を向くことができるならば。
ただ、だいたいの場合、
傷の痛みを何かで忘れるという一瞬の安寧に満足して、
前を向くことを忘れてしまうもので。
行動の一つ一つには、全てを決める力など無い。
それらにどういう意味を持たせるか、その意志こそが重要だ。
いつも笑ってたリガーがある時、
今まで知らなかった心地よさに酔い痴れました。
だんだん麻痺する心の奥に、
蓋をして自分を納得させようとしました。
喜怒哀楽の区別はつかない。
それは創世の前日には一つだったので。
そして何かを諦めたり、何かを隠したり、
そうやって心は安らかでまた笑ってみます。
右足が動かなくなったことに気付いて、
その時気付いたことがありました。
リガーは苦々しい顔でピンボール。
27回目のアニバーサリィ。
33.5回目のユニバース。
考えすぎると見えなくなるもの、
考えなさすぎると見えないもの、
やっぱそれはいろいろあるので、
そのバランスを取るのが重要だ。
どの程度のバランスが良いのか、
そんなことはわからないわけで、
そこは自分なりに考えたりして、
何とかやってくしかないわけだ。
ただ、そのバランスというのを、
他人の意見の綱引きであるとか、
そういう外的な要因で測ったり、
ともするとしがちなものだけど、
そんな時に見えてるものなんて、
実際は自分の姿じゃないわけで。
結局、自分ってものを貫くには、
立ち位置は自分で測るしかない。
他人との距離で測るってなると、
わりと誤差が生じたりするので、
目的地との距離で測るのが良い。
そのために必要なことといえば、
しっかり目的地が見えているか。
逆に言えば、それができてれば、
自分の姿が見えてるということ。
考えすぎると、朧気になったり、
考えなかったら、現実だけとか。
目的地のことだけ考えてるのが、
結局のトコは、最適なバランス。
それだけを信じていきゃぁいい。
最近それを気付いたりしたんで、
もう迷わない。つもりで行こう。
運命ってものを否定する人とそうじゃない人がいて。
んで、俺はどっちかっていうと後者で。
だって、運命ってもんは必ず、絶対に、ある。
それ以外の言葉や概念じゃ表現も理解もできない事象って、たくさん、ある。
今、俺はこうやって暮らしていて、そりゃぁ嫌なことだってたくさんあるけど、
総体的に見れば、自分の生きたい生き方をある程度はできている幸せもあって。
で、その幸せってのは、全てが自分で0から作り出したものではなくて、
いろんな人や、物事や、そんな偶然が物凄くたくさん生まれて、そんで。
今までの一つ一つの選択が、何千個も何万個も積み重なって、
そしてそれは自分だけのことじゃなくて、他の地球上の全ての人達の選択とも乗算しあって、
そんで生まれた何千億分の一の確率。
それは、偶然であり、同時に必然なのだと思う。
だって、そうだろう。
あの時、ああいう行動を取らなければ、
そして、相手もそういう行動を取っていなければ出逢えなかった人と人。
そして、ああいう行動を取るためには、その前にこういう行動を取っていなければならなかったわけだし…、っていう無限ループ。
遡れば、俺の生まれた時点、親が出逢った時点、その先祖が~、と結局46億年の歴史。いや、もしかしたらもっとかも。
そんな森羅万象の全てが複雑に絡み合った事象を、運命と呼ばずして何と呼ぼうか。
でももちろん、そんな運命が全てを決めるということじゃなくて、
自分の選択した行動が、他の全てとも相互に影響し合いながら、次の瞬間の未来を変えていくわけで。
一つ一つの出逢いや経験を、自分の中でどのように消化していくか、進取していくか。
あくまでも自分が見据えてる未来像から目を逸らすことなく突き進んでいけば、
運命の作用ってのは、そこに到達するための最短距離。
悩むことや、失望することや、悲しい出来事が自分に降りかかってきても、
それは、それを経験することで自分が自分の行きたい場所へ行ける、そのために必要な経験。
だから、苦しんだりはしても、後悔はしない。
振り返って思い出せる数々の後悔やら何やらは、間違いなく今の俺の糧になっていると実感できるし。
そんなもん。
そんな出来事の全てが運命ならば、じゃあ俺は、その一つ一つ全てを、逃げずに。言い訳もせずに。
んで何よりも、楽天的に。
先日ムーヴを修理に出した時に代車で来たスプリンター。
車の形状から、前後の長さ、シートの高さ、ミラーの形、その他諸々何もかもが違う。何せセダンに乗るのは教習所以来なもんで、視界は悪いわ、車幅は掴めないわでもう散々。
「やばいなー、ムーヴ戻ってくるまで、すっげー慎重に運転しないとなー」なんて思ったりもして。
駐車したらしたで、ムーヴのコラムシフトに慣れきった左手は、あれ?あれ?なんつって、シフトを見つけられないでいるし、左足は、無意識にパーキング踏もうとして、キックが空を切る。そんな始まり。
スプリンターに乗ったのは、たったの8日だった。
電話があったので、ムーヴを工場まで迎えに行き、乗り込む。
あれ?
高い視界は妙に居心地が悪く、駐車した時は、今度は左手が無意識にシートの横を彷徨っていたのだ。
5年連れ添ったムーヴに慣れきった体の無意識の動作も、たった8日間のスプリンター生活で失われたのだ。もちろん、またすぐにムーヴとのタンデムを体は思い出すだろうけども、でも、もしムーヴが返ってこなかったら、俺の体はそのままスプリンター仕様のままだったんだろうなぁ、とも思う。
人間にだって、きっとそれは同じで。
どんなに深い、感情や、熱情や、記憶や、憎悪や、安心感や、不快や、そんなものも、きっと手放せばすぐに、消えてく。
だってほら、昔一緒にいた彼女のことも、頭では覚えているけれども、かつてはきっと、無意識に合わさっていた些細な行動のリズムやそういうものは、もう何も、覚えてない。相手に合わせて無意識にしていたはずのちょっとした行動規範なんかだって、もぅ全然、遠いもので。
きっとそうして、人生は進んでく。男のコは、女のコと出会って、愛して、抱き合ったりフラれたり。そんな無限ループの中で、いろんなことを覚えて、いろんなことを忘れて、そして少しずつ前へ進んでいくんだと思う。
過ぎ去った事は、あくまでも過去の「何か」であって、現在の自分の「何か」では無い。きっといい想い出はいい想い出として、心の中のあったかな部分でひっそりと存在はし続けるけどでも、それは現在の自分の行動やら価値観なんてものとはまた違う次元の場所にあって。で、男のコはまた女のコを愛して、そんでそのコに行動規範やら価値観やら口調やら気の遣い方やらそんなものも、すっと染まってく。それでいーんじゃないかな。
自分なりに、今この時間を真っ正面から向き合って、
で、自分なりの幸福を選択していければ、それでいいと思ってる。
一見意味の無いように見えるものまで含めて、
この26年以上積み重ねた全ての経験や見聞や自己愛や反省は、
マチュピチュの石垣のように一つ一つが複雑に組み合わされて、
そんで少しずつ高く、高く。
今立っている場所から見える景色は、望んでるものとは少し違っていたりもするから、
もちっと高く積み上げて、絶景が見えるまで。
新しいステップのために、
今あるものを想い出に変えよう。
きっとそれは必然。
タイミングが遅すぎたとか、いつかの後悔だとか、
そんなのは、今迄の人生の中ですれ違ってきた、
数多くの人に対する失礼と軽視。
一つ一つの経験や喜怒哀楽を踏み越えてきて、
そして今の自分がある。
だから、今迄の自分の道程を信じながら、
現在の自分を包む環境や状況や諸々のことに
自信を持って丸ごと身を委ねていたいのです。
普段なら別に何とも思わないような
ちょっとした喜びや悲しみやそんなようなものを
何倍にも増幅したりして
それでひどく落ち込んだりひどく嬉しくなったり
たまには誰かにつらく当たってみたりなんかしたり。
いろんな可能性を計算してる気になってはいるけど
結局答えなんて決まってるわけで
なんかムキになって自分を正当化しようと試みるけど、
最後には最初に戻って堂々巡り。
わかってるのに、心にあるものを素直に受け入れられない、
そんな不可思議で厄介な揺らぎを何と呼ぼう。