これで終わりになるだろう。
救いようの無い精神の死の淵。
俺らはなんだかんだ結局、
よりよく生きるために生きてるんだけれども。
けれども。
蜘蛛の糸は絶えず眼前にあるのに。
それを掴もうとしないんじゃぁ、
きっとチャンスも最後。
自分で望むのなら本望?
無くなってから、
気付くさきっと。
救いようの無い精神の死の淵。
俺らはなんだかんだ結局、
よりよく生きるために生きてるんだけれども。
けれども。
蜘蛛の糸は絶えず眼前にあるのに。
それを掴もうとしないんじゃぁ、
きっとチャンスも最後。
自分で望むのなら本望?
無くなってから、
気付くさきっと。
今年はもっともっと。
外に出て行く年。
にしなけりゃ。
と。
思う。
友達。
100人。
できるかな。
なんて。
100人?
足りない!
足りない!
ってくらいの。
気持ちで。
すごくたくさんの人から。
すごくたくさんの刺激とか。
すごくたくさんの価値観。
そういうのもらって、
もっと。
もっと。
いろんなもの。
生み出してかないと。
年齢的には。
もう種蒔きも、実りの時期も終わって。
一般的にはもう収穫に入る時期なんだけど。
でも。
まだまだ。
俺はここで止まるつもり無いんで。
どんどん。
種蒔いて蒔いて。
どんどん。
水やって水やって。
そんで。
もっともっと。
広げてかないと。
落ち着くつもりも無いし。
もっともっとたくさんの人と、
もっともっとたくさんのバカやってかないと。
あと何十年も生きるのに。
もう回収の時期だなんて。
ねぇ。
先週の土曜から、
昨日まで。
7日間。
言い換えれば1週間。
たぶん1回もTVつけてないなぁ。
なんか、
「TVを見る」
という行動様式が、
気付いたらすっぽり俺の中から無くなってしまってたり。
TVは、ついてないのが当たり前。
みたいな生活。
ついてるほうが不自然かも。
でも。
そう言えば。
子供の頃からずっと、
一度も「TVっ子」だった時期は無いように思う。
親はTV好きだし、
物心ついた頃から、
俺の部屋にもTVはあったんだけど。
とりあえず。
次にTVをつけるのはいつかな?
いつだろう。
来客が来た時はTVをつけてる事が多い。
俺は決めた!
明日片付けを行う!
死ぬ気で行う!
珍しく土曜が休みなので、それを利用してやる!
昼までに起きれたらやる!
ということで、
下の写真は、
引っ越したばかりの家ではなくて。
普通に2年半生活している家です。
話題のゴミ屋敷でもなくて。
いや、ある意味ゴミ屋敷なのか。
俺らはみんな、
明日を生きるために今日を生きてるのであって、
明日の無い今日は無いし、
今日の無い明日も無いわけなので。
そしてそれは累ねられていって、
そんで振り返れば、そこには塔のように積み重なった道筋。
今日は一段。明日は次の一段。
土台を広げてないと、すぐに先細りして、
そんで、
そこまで。
いつか、
どこまでも、
積み累なっていく?
それとも、
バベライズ。
自分の中の融着が剥がれて、
バラバラになってしまう前に。
『ケラの遺言』より。
八七年六月、全国4ヶ所で行われた『有頂天・大脱走-ビルから飛び降りるためのエッシャー・パラドックス』という長ったらしいタイトルのライヴは、プログレバンド新月の「鬼」のカバーで始まり、黒頭巾に黒マントの男が登場、わけのわからない台詞をつぶやいていると、突然壁を突き破ってクルマが飛び出し、ボンネットからケラが出てくるというオープニングから始まり、入場時に配った”匂い付きシート”を、ライブ中に観客にこすらせて死臭で会場をいっぱいにし、ケラとミューがケンカを始め、子供が合唱し、”人はなぜ生きるのか”と題したシンポジウムを、江口、犬山犬子、ケラ、ハッカイのキャスティングで興じるなど、多角的な演出が試みられ、パターン化されつつあったロックコンサートの枠をいきなり破ってみせた。観客達の多くは、まさにア然とし、ファンをやめたりもした。
仮名書でもこういうコンセプトでライヴやりたいんだけど、
どうだろう。
匂い付きシート。いいなぁ(笑)
ちなみに、江口は有頂天の所属事務所の社長。
犬山犬子は、専属スタイリストです。
『ケラの遺言』より。
「黙れブス!」
この頃、彼はステージでよくこんな暴言を放ち、その度に、当時現場マネージャーをしていた能野は神経をすり減らしていた。
「あれはマズイよ、ケラ」
不安げに能野が言うと、彼は表情を苛つかせた。
「だって本当にウルサイんだもん、あのガキ共」
どっちがガキだ、と能野は思った。
隣でハッカイが笑いながら言った。
「でも言われた子も喜んでたみたいだよ」
そうか、喜ばれちゃ、どっちみち負けだな。ケラは少し口惜しかった。
「最近少し客を楽しませ過ぎてる気もするよね」
衣装のボタンを外しながらコウが言うと、ケラは頷いた。
「何かもっとさ、何が起こるかわかんないみたいなライヴにしたいよな、フツーに楽しいってのには飽きちゃったしさ」
(中略)
この当時の客を客とも思わない暴言、身体障害者をギャグにした差別ネタは、周囲のスタッフ達をかなりあわてさせていたようだった。
「観客に向かって”バカ”とは絶対言うな」「”朝鮮”はやめろ」このことに関しては、江口もシビアだった。
しかしケラは、注意されればされる程、これらの言葉を連発した。彼にとっては全てが「単なる冗談」でしかなかったからである。
「日本人ってさ、冗談が通じにくい民族だよね。まあ俺も日本人だけどね、日本人に生まれて何がイヤかって、”笑い”に対して偏見があり過ぎるところだよね。ジョークとして笑い飛ばせないっていう」
問題発言に関して、彼はこんなコメントをのべている。そんな彼に対し、非常識、不道徳といった類の言葉を吐く者も、もちろんいた。
「言われて傷つく人間の気持ちを考えたことがないのか!!」
しかし、そんな忠告も彼は意に介さなかった。
やりたいようにやれば誤解は必ず生じるだろう。それは仕方のないことだ。
彼は自分が正しいと思っていることを非難されると、その非難の背後にある常識だとかモラルにますます腹を立てた。
「ウルサイから黙れと言ってなぜ悪いのか? ブスをブスと言ってなぜ悪いのか? カタワをかたわと言ってなぜ悪いのか? 自分を完全だなんて思ってない。それじゃそれらの悪口と平行して自分のことも卑下すれば問題は解決するのか?」
傲慢である。だが正直だ。
全てを首肯できるわけではないけれども。
でも俺は基本的にこの考え方に賛同する。
「言われた人が傷つくから言っちゃいけない」
それ自体は間違っちゃいない。
でも、何でもかんでもナーバスにそこに固執するのは、
それはケラの言っているように、
自分は相手に対して上位の存在であり、
相手は自分たちが庇護してやらねばならない存在だ、
という、それこそ傲慢な考え方だ。
だから昔から俺が主張してるのは、
例えばこと身体障害者に関してだけ論を絞るが、
みんなが障害者に対して優しく、助けてあげられるような、
そんな社会作りってのは、
世間ではもてはやされるけれども、
そんなのは一枚めくってみりゃぁ、それこそ差別の根源だ。
人間は他人に対して必ずしも優しいわけじゃないし、
必ずしも助けてくれるわけじゃない。
それを、
「障害者だから~」
って、
明らかに
「自分たちが何とかしてあげます」
みたいな。
本当に差別の無い社会ってのはさ、
それを個性として、上にも下にも見ない、
他の人と同じように接することであって。
まず自分を見ろ。
「○○してあげなきゃ」
その裏側には、何か優越感が潜んでいないか?
まぁ、非常に話はアレなほうに行ってしまったけれども、
「何かもっとさ、何が起こるかわかんないみたいなライヴにしたいよな、フツーに楽しいってのには飽きちゃったしさ」
これはウチのバンド(仮名書黙示録)のコンセプトまんまなんだよなぁ。
俺が幼少期より激しく影響を受け、
或る意味で人生の全ての部分において師と仰ぐのが、
ケラ(現・劇作家ケラリーノ・サンドロヴィッチ)率いる
有 頂 天
であることは周知の通りであるが、
とある処より発掘してきた、ケラの自伝を読んでいて、
俺がまさに有頂天の影響下で感受性を育まれてきたということが、
如実に丸わかりになる文章を発見した。
デビュー前の有頂天が衝撃的なライヴを繰り広げていたのは、
ファンなら無論周知の事実ではあるのだが。
ラーメン屋の出前を呼び、椅子に縛り付けて帰さない。
ステージにちゃぶ台を置き、演奏の合間にメシを食う。
生きたヘビを放す。トーフを投げる。
客を舞台に引きずりあげ寸劇の相手をさせる……。
(『ケラの遺言』宝島社より)
まさかここまでとは…
今の俺の価値観って、こういう処から形成されたんだな…
そんな感じ。
妙に穏やかというか、
全てをありのまま見える時期なので、
こういうタイミングにこそ、
いろんな人に会って、
いろんな事をして、
そんで、
いろんないいものを吸収していければと思う。
喜怒哀楽がイドの段階で全て中程度に入り交じって、
そんで中庸で平衡を保ってる。
なんか。
悟りが。
近そうだ。
うん。
思ってはいたんだけど。
いや、
思っていた。というよりは、
そう信じていたというほうが正しいのかな。
でもね。
やっぱ。
改めてね、わかったのさ。
俺が一生やってくのは、
やっぱ音楽なんだなぁ。
なんだかんだ言っても、
やっぱこれが天職で、
なんだかんだ言っても、
やっぱそれ以外で生きろったって無理だよ俺。
どんな形であれ、
やっぱ音楽がいつも共にあって、
そんで、
その中で。
好きとか嫌いとか、
楽しいとか楽しくないとか、
そういう段階じゃなくて。
死ぬまで。
あと何年あるかわかんないけどさ、
自分の中心にあるものは、
絶対、
そうなんだと、
思う。
だから。
絶対に、
裏切らない。
目を逸らさない。
そう、
気付いてしまった。