理性論。
みんなして
何でも勝手に理屈をつけて
自分勝手に納得してる
意味のない理論なんかより
目の前の現象への回帰
感情的なのは悪ですか?
シュレディンガーの猫の立場はどうなる?
みんなして
何でも勝手に理屈をつけて
自分勝手に納得してる
意味のない理論なんかより
目の前の現象への回帰
感情的なのは悪ですか?
シュレディンガーの猫の立場はどうなる?
幸せか不幸せかなんて、きっとずっとわからないこと。
幸せなことが不幸せなのかもしれないし、
不幸せなことが幸せなのかもしれない。
結局、人は誰もが「愛されたい症候群」。
本当の自分から目をそらして生きてる。
こんな気持ちのまま平気で暮らしていける程、俺は強い人間じゃない。
こんな気持ちだからといって死んでしまえる程、俺は強い人間じゃない。
どっちかだったら、良かったのにね。
忘れたくないのに忘れてしまう記憶よりも、
忘れたいのに忘れられない記憶って、案外、たくさん、ある。
明日からは半月前までと同じ、普通の毎日。
夕方、眠った。 夢を見た。
暗くて長い夢。
明けない夜はない。
暮れない朝もない。
軽登山がしたくなった。
山の中の、とくに川が好き。岩場を歩いたり、小川に手を浸したり、山頂から見る景色にしばし見とれてみたり、そんなのもいいなあ。
登山ってあんまりしたことないんだけど、一昨年偶然旅行先で山に登って(滝を見るため)以来、またしたくて仕方がない。
というわけで、今年の目標は、10個の山に登ること♪
もちろん、なんか装備が必要とか、そういうのはイヤ。着の身着のままでフラリと登りに行けるような、そんな登山が好き。
ああ、行きたいなあ(遠い目)
自分の行動が全て裏目に出てる気がする。
ささいな事がすごく大きく感じるのは、すこし精神が疲れている証拠なのだろうか。
一人でいると、すごくムシャクシャしてきて、そして同時に惨めになって泣きそうになる。
そんな不安定さをかき消そうとして、どこかへフラっと行っても、喧騒も、雑踏も、そして静寂にまでも孤独を感じる。
友達に電話をかけようと思っても、迷惑かなと思って結局やめる。
病んでいる。
電話が好きだ。
はっきり言って、俺は長電話。
気のおけない友人と話すと、2時間はザラ。
まず1時間以内で切るってことはない。なんせ最長記録約10時間(倒)
受話器持ったまま眠ったりだってするさ(死)
でも、あまり慣れない人(特に女性)と電話するのはすごく苦手。
緊張したり、めちゃ気を使ったりして全然うまく話せない。
っていうか、口下手な自分が憎い(怨)
しかも、実際の俺を知らない人(つまりネット上の知り合い)は、俺の声は予想と大きく違うらしい(笑)
そんなにネット上の俺ってアレかしら(何)
ネットでもかなり素なんだけどねぇ。ってことは性格と声とギャップがあるということなのか?
でも、電話onlyの人は「真面目そう」とか「思ったより男っぽい声(どういう意味だ?)」とか言うけど、実際の知り合いは、「軽そう」とか「ヘン」とか言うからなあ(笑)
要するに、電話の俺が少し違うのかも。あ、でもやっぱ、緊張してるからなのかな? 慣れてくれば俺の電話って滅茶苦茶だからなあ(笑)
言葉は心を伝えない。
でも、心を伝えるには言葉しかない。そんなジレンマ。
嘘と真実。その間を揺れ動く言葉という名の天秤。
悪意のこもった真実。悪意のない嘘。
言葉は心を伝えない。
やわらかい拒絶。婉曲な誘い。玉虫色のフレーズ。
それでも言葉の解釈を試みる哀れな姿。
言葉は心を伝えない。
善意に満ちた言葉こそが見てはいけない希望を見せる。
アダムとイヴが林檎を食べたことではなく、言葉を覚えたことこそが真の原罪ではないのか?
言葉は人類史上最美の贋作。
そんな他愛のないことが、幸せであり、不幸せだ。
正直、少し疲れた。意識するから悲しくなるし、惨めになるし、疲れる。気にしなければいい。他の人と同じ。その程度の人。そう思いたくても思えない自分。嫌気。葛藤。ひとかけらの希望も見えなくなればいいのに。
昨日、自分の部屋のあまりの汚さに耐えかねて、思い切って模様替えをした。
すると・・・電話線がパソまで届かないではないかぁぁぁっ(叫) 3m線なのに(泣)
というわけで、普段ならメールを書いたりしてるとこなのだが、そんなわけでヒマなので、日記でも書くことにする(死)
はっきり言って、今俺は疲れている。まあ、その原因は知る人ぞ知るであるが。
で、今日は全てを忘れるために、小学校からの友達と海に行って来た。
やっぱりなんか古くからの友達が一番心休まるというか、なんか安心できるというか、、まあ、簡単に言うなら、友情ですね。そういうものを痛感した一日でした。(最後作文風)