僕らの間に横たわるもの。

July 29 2016 23:16

この前、ワタロちゃんの飲み会に参加したときに、
初対面の人たちが、すぐに名前で呼んでくれたのが地味に嬉しかったのん
 
 
名字はあくまでもどこのファミリーかを表す符丁であって、
俺はあくまでもだいという個人なので。
それ以外の何者でもないので。
 
と思って生きてはきたものの、
やはり大人になるとどうしても名字で呼ばれることが増えてきて、
歳を取れば取るほど、
新しく知り合った人に名前で呼ばれる頻度は減っていって。
 
 
なんだか希薄な自分のアイデンティティという、
ピータ・パァーーンな自意識過剰。
 
 
社会ってのぁ、そんなんだってさ、
わかっちゃぁいるのよ。わかっちゃぁ、いるのよ。
 
でもやっぱさ。
名字で呼ばれるほど社会的な人間でもなけりゃ、
さん付けで呼ばれるほど大層な人間でもねっての。
 
 
 
ちゃん付け、くん付け、呼び捨て。
まぁ、仲いい人たちはだいたいその3パトゥーーーンなわけだけども、
ハヤトに「チャンダイ」と呼ばれたのは新パターン。
 
業界人か!!!!!!
 
でも、
そういうチャラいノリは嫌いじゃないw
 
 
子供の頃から、
呼ばれ方と仲良くなれる度合は相関関係があると思っていて、
まぁ、いろいろと考えたりする部分もあるわけだけども、
それにしてもチャンダイは前例無さすぎて類型化しにくい!
 
 
 
新しい人と知り合うと、
いろんな発見があるから好きだ。
 
 
人見知りだけどもね。


Categories: 思う。, 自分という存在。
  1. wasang

    ボンボン呼びだわ、チャンダイは

    2016年7月30日 08:09
  2. bill8810

    まあでも、一般家庭ですけどね。

    2016年8月3日 18:24

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