無力ディフューザー。

November 08 2007 14:31

結局、
自分が何をしようとも、
どれだけのことをしようとも、
外からの手一つで崩れるのが砂の山。
 
 
上に差した棒を、
崩れては拾い、
崩れては拾いで、
結局は賽の河原の石の積み上げ。
 
 
 
もっと大きく、
もっと大きくと願っても、
何かがやってきて元の木阿弥なら、
最初から積み上げないほうが正しい?
 
 
 
本質を失うという行為。
何ができる?


Categories: 感情。
  1. さすらいの番長

    それでも石を積み上げ続けないとと得られないものもある。
    崩されても立ち向かう、それが生き方っつーもんだと俺は思う。
    なんつーの?
    崩されて崩されて頑丈な積み方を覚えるってはなしだ。

    2007年11月8日 23:08
  2. しの

    今は丁度⤵気味?
    何もしないよりやってみた方がいいと思う。失敗したその時は凹むかも、だからといって全く意味がなかったとも思わない。
    これから私も挑戦だ✌
    もしかしたら辞めた事後悔する日もあるかもね。でも頑張るよp(^^)q

    2007年11月9日 01:23
  3. だい。

    >顎。
    そうなんだよな。。
    時間に制約がある中で、どこまでそうやってバランスを取りながらやっていくか。
    そこが悩みだな。
    積み終わるが早いか、力尽きるのが早いか。
    うむ。

    2007年11月9日 01:49
  4. だい。

    >しのちゃん。
    初コメさんきぅ~♪
    75%ほど復活しました!
    まぁいろいろあるけどお互い頑張ろう!
    辞める前に食べに行くね!

    2007年11月9日 01:50
  5. さすらいの番長

    結局潰し合い。
    いま仕事がそんな感じなんだけど、なんとか折り合いつけて始末せんと人間的にも成長せんのよね。
    人間はまってこそ、しくじってこそ成長すると思うし。
    前進せんのは死んでるのと同じことだっぺよ。

    2007年11月9日 02:30
  6. だい。

    前進しようとしすぎて、
    そんで周囲に抑圧されてで少し疲れたぜ…

    でも俺は性格的にも、前に進むしかできないから、進むわけなんだけれども。

    そしてその度軋轢。
    踏み越える毎日さ。

    2007年11月10日 09:52

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