揺ら愚。
September
09
2007
01:26
何くに於いて、
如何なる断に拠りて、
己の立ちし場を信ぜんと欲すれば良いか。
何を思うにしても、
結局はそんなのは、
自信と卑下の間を征き戻るロプノール。
諸事を顧みて、どんな土台を自分の中に設定したところで、
そこに確かな何かが無ければ、
そんなんは結局、砂上の楼閣。
積み上げても、積み上げても、
すぐに一からの賽の河原。
積み上げるという失望。
積み上げないという停滞。
揺ら愚馬鹿離の日々。
>確かな何か・・・。
目に見えるもの
明らかに感じれるものならば
それを信じて生きていけるのに。
『確かな何かを自分自身で構築してもて』
そう言われても、私にはちょっと難しいです😢
「確かな何か」は、どうやっても結局、自分自身の中には無いよ。
「確かな何か」が自分自身で持てるなら、
人間は一人でも生きれる。
人間が一人で生きられないのは、
「確かな何か」は、人間と人間の間に存在するものだから、
なのだと、
思う。
それを見つけられるかどうかは、
それを見つけようとするかどうかではなくて、
それを見せようと思い合えるかどうかによる。
そんな気がする。
「自分で持っている」と思っている人は
きちんと自分のなかに『確かな何か』を感じてて
1人でも平気な人なんでしょうかね・・・。
構築できないのは私だけで私の弱さだと思ってました。
1人で生きていけないのは弱さで欠点ではないんですね。
ちょっと安心✨
どんなものでも、
それは人間一人の中でおさまるものではないから、
「自分で持っている」と思っている人は、
それが本当は、周囲の人と一緒に持っていることに、
気付いていない人だと思う。
一人で生きていけないのは、
弱さでも欠点でもなくて、
人間なら誰しもが当たり前のこと。
エリちゃんも。
俺も。
誰も。
そのために、
人間は伝達の手段を持つ。
「確かな何か」は、
誰かと誰かが持っているピースを組み合わせた所にある。
>周囲の人と一緒に持っていることに、
>気付いていない人だと思う。
だから一人よがりになりがちだったりするんでしょうね。
こういうのを理解して包み込めるくらいの
大きいキャパが欲しかった・・・😢
それは無理だよ。誰でも。
みんなそれぞれ持っているピースは欠けていて、
そこの欠けと合うピースを探さなきゃいけない。
他の人を包み込むことは、
ピースを探す作業じゃない。
そうやってやっていくことは、
お互いのピースを嵌らないまま放置しておくこと。
それは、
しちゃいけない。