寝る前最後に。

April 12 2007 02:11

最後だけちょっと冷静に精神世界を抜け出して書こう。
 
 
やはりこの齢ともなれば、
周囲のいろんなものがいろいろ動き出して、
そんで、おさまるべきとこにおさまってく。
 
そんな周囲を見てさ、
自分の立ち位置ってのがつらくなることもあるけど、
でもじゃぁ、俺がラインを越えてさ、
そっちに戻ったとこで、
後悔しない自信あんの?
ってことだ。
 
ラインのこっち側の生き方選んで、
そんでだいたい7年くらい?
こっちの方向へ一本道に積み重ねてきたもの。
それを崩して、足場を固めるってのは、
7年間の自分を否定すること。
 
 
中学校や高校や学部生の時の自分が成りたかった自分。
それはそれだよ。
なんて、分けて考えられるほど器用じゃないし、
足元だけ見て生きていけるほど、満足してもいない。
 
 
 
この道を行けばどうなることか。
行けばわかるさ、って言うけど、
行かなくても、とっくにわかってるさ。
今までも進んできた道だし、
そっちへ行くために進んでる道なんだし。
 
だから。
 
 
 
自分の中で、絶対にしちゃいけないことがある。
 
それだけは、何があってもさ。


Categories: トンガリ。
  1. えりすけ

    最近思うこと。
    意地を張らず、流れに逆らわず生きればいいかな、と。
    ただ、自分の核になるものだけ守ればいいかな。

    >こっちの方向へ一本道に積み重ねてきたもの。
    >それを崩して、足場を固めるってのは、
    >7年間の自分を否定すること。
    方向転換したって、否定にはならないですよ。

    もちろん、
    「自分の中で、絶対にしちゃいけないこと。」
    以外ですが。
    自分の方向と全然違うと思った道でも、
    険しいながらもゴールに辿り着けたり。
    無ければ作っちゃえばいいじゃないですか。
    その『1番なりたいもの』になる方法は
    決して1つじゃないはずです。

    2007年4月12日 12:13
  2. だい。

    そこの見極めが難しいなぁ、とは思うんだ。

    例えば俺の行きたい方向は、
    あきらかに世間や周囲の流れとは全然違う方向で、
    だからだいたいの流れってのは、
    自分のベクトルにはならない。
    そして流れってのは、だいたいは強いものだから、
    一回乗っちゃうと、
    きっともう戻れないほど遠くへ。

    核を守ればいい、っていうのは同意。
    ただ、俺は、俺のやり方として、
    核が剥き出しの状態でしか生きられないから、
    周囲にわかりやすい肉襦袢をつけて、
    周囲とのアレコレを緩和することができないのさ。

    俺はきっと、
    気ぃ張って、意地になって流れに逆らって進んでかないと、
    すぐに波にさらわれちゃうタイプなんで、
    気付いたらもぅ、自分の元いた場所が見えなくなってた。
    なんてことにならないように、
    社会不適合者のレッテルで生きるしかないんだと思う。

    で、
    そういう意志のもとで、
    一個一個の選択を、
    「いかに理想の自分に近づくか」というためだけに、
    周囲のアレコレとか、いろんなしがらみとか、
    そういうのを無視して、
    自分が自分であるために全力で選択してきたんで、
    そういうピースを組み合わせて今の自分がいる。
    今の自分を構成するピースを抜いちゃうってのは、
    それはもぅ、今の自分じゃないから。

    自分では、自分の中に明確なゴールは見えてて、
    ゴールが見えてるなら、そこへ向かって一本道だと思ってる。
    山があっても、谷があっても、
    意地でも一目散にそこへ向かう。

    俺は、弱い人間だし、馬鹿だから、
    真っ直ぐの道を一回でも外れる選択をしちゃうと、
    後は選択ごとに、きっと自分を貫いた選択ができなくなると思うから。
    そうやってるうちに、自分がどこにいるのかわからなくなるのが一番怖い。

    いつか自分が描いた自分の理想。
    それだけをルールにして、
    そのルールだけは死んでも守って生きてく。

    それが「意地でも一目散に向かう」ってことだ、って、それだけのこと。

    俺は救いようの無い孤高のランナー。

    2007年4月12日 12:43

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