一握の砂。
何も持たざる者は何も失わない。
でも、失うものがあることは幸せなのかもしれない。
たとえ、失うかもしれないという恐怖に襲われるとしても。
何も持たざる者は何も失わない。
でも、失うものがあることは幸せなのかもしれない。
たとえ、失うかもしれないという恐怖に襲われるとしても。
「趣味はなんですか?」「好きなものはなんですか?」
ありがちな質問だけど、そんな質問に迷わずに答えることのできる今の自分の生活がすごく幸せな気がする。
誰が最初に気付いたのか。
綺麗なものほど脆いもの。
男はみんな非現実的なロマンチストなわけで。帰らざる恋をいつまでも大事に抱えてるのってたいがい男のほうなんだよね。
忘れたいことってのは、忘れたいと思ってるうちは忘れられないもので。新しいものを見つけて初めて、自然に忘れられるのだろうと思うし。
「忘却」という行為がもし「自分を守るため」に人間に備わってる能力なのだとしたら、「忘れたいこと」を忘れられないというのは、きっと自分にとって何かの糧になっているのか、また、いつかなるのでしょう。
たとえそのことに自分では気付かないとしても。
「後悔」という言葉はいつも、自己嫌悪を引き起こすだけ。
後ろ向きだけど。
「いいよねー、○○君、すごく純愛って感じで」
「子供みたいだよなー(笑)」
「ピュアだよね(笑)」
「でもいいよなー、俺もああいうふうになってみたい。」
「相手見つけて頑張ってみれば?」
「どう逆立ちしても、もうあんな気持ちにはなれないよ。」
大人になっていくというのは汚れていくということなのでしょうか。
自分が少しずつ「昔の自分がなりたくなかった大人」になっていっている気がします。
昔の過ちが今も心の傷
一瞬の輝きと永劫の暗闇。
それを味わった数週間。
この日々をずっと忘れない。
忘れたいけど、忘れない。
つくづく、恋愛向きぢゃない。そう思う俺。
いつでも消極的。いつでも受動的。 結局は、自分から動くのが怖いだけ。 きっと、傷つくのが怖いだけ。
傷つくのを怖れているようぢゃ、所詮その程度の感情でしかないんだよって言う人もいるけど、本当にそうなのかな?
今も癒されない過去の傷。
ダメージ受け止めたくない。
幸せか不幸せかなんて、きっとずっとわからないこと。
幸せなことが不幸せなのかもしれないし、
不幸せなことが幸せなのかもしれない。
結局、人は誰もが「愛されたい症候群」。
本当の自分から目をそらして生きてる。
こんな気持ちのまま平気で暮らしていける程、俺は強い人間じゃない。
こんな気持ちだからといって死んでしまえる程、俺は強い人間じゃない。
どっちかだったら、良かったのにね。
忘れたくないのに忘れてしまう記憶よりも、
忘れたいのに忘れられない記憶って、案外、たくさん、ある。
明日からは半月前までと同じ、普通の毎日。