素晴らしき哉、人生。
嬉しいことも、嫌なことも、
全部ひっくるめてそれが人生なわけだ。
そう思ってはいるのだが、
やっぱ嬉しいことは嬉しいし、嫌なことは嫌なわけだ。
だから、結局は一喜一憂。
泣いたりしたいようなことだっていっぱいあるから、
嫌で嫌でしょーがなくなったりもするけど。
そんな人生、素晴らしき哉。
今この時点で素晴らしくなくても。
嬉しいことも、嫌なことも、
全部ひっくるめてそれが人生なわけだ。
そう思ってはいるのだが、
やっぱ嬉しいことは嬉しいし、嫌なことは嫌なわけだ。
だから、結局は一喜一憂。
泣いたりしたいようなことだっていっぱいあるから、
嫌で嫌でしょーがなくなったりもするけど。
そんな人生、素晴らしき哉。
今この時点で素晴らしくなくても。
人生ってのは結局は旅なのか。
しっかりたくさん所持金持って有名な観光地に行って、綺麗で暖かいホテルに泊まり、いいものを食べたいって人もいる。
とりあえず最低限の金だけかき集めて、たまに野宿なんてもしながら、小さな片田舎を気の向くままに歩き回りたいって人もいる。
それは人それぞれの楽しみ方の問題。
わかってるのは、俺は前者にはなれないだろうなぁ、ってこと。
安心感や、
優雅さや、
そういうもんあんまり欲しくないし。
貧しいナリで北風と太陽に曝されながら自分なりのペースで。
そんな道を歩くことが願わくば許されますように。
超回復理論。
筋繊維が筋トレなどで強い負荷をかけられることによって切断されると、回復するときに、最初よりも筋繊維が太くなって強くなるっつーやつ。
んで、思ったのよ。
それって人体だけじゃなくて、心も一緒なんじゃねーの?
いろんな失敗して、落ち込んで、悩んで。
そんで、吹っ切って、立ち直って、前向いて。
振り返った時に、そんなもんも笑い飛ばしちゃったりして。
傷ついた人間にだけ、強くなる権利がある。
気に入ったコに対してだけは、
不真面目なオブラートに包んでしか本音を言えないのは、
傷つくのが怖くて仕方がないからだ。
あーあ。
ダメじゃん。
久々に会った奴ら。
いろんなコミュの中で、ここが一番落ち着くのは何故。
人の少ない体育館でまったりとラケットを振り回してた頃から、
試行錯誤で深川まで漕ぎ着けた頃から、
道具も無く見様見真似で蘭貴人を啜った頃から、
連綿と続く我らの暖かいインナーワールド。
誓おう。
君等が居る限り俺はきっと大丈夫。
波
の
ような
上昇と下降。
窒息しそう。
結局は俺の中だけのとある出来事に過ぎないことなんだけど。
悪いことも、
いいことも、
そんなのは全部自分の中で生み出しちゃって、
んで最後には、
様々な外的要因に収斂されて自分の中で納得しちゃって。
そこにどんな因果関係があるかなんて、
誰にだってわかるはずのないことなのに、
一見マトモな理屈をつけて繋ぎ合わせて喜んでみたり。
そして抱えきれなくなった期待と不安。
たぶん当事者だけにしかわからない、世界の何処にも無い不思議なカタチ。
既存の人間言語では表現できない、
近くもない、遠くもない、中間ですらない、
新しいマインドケイション。
単純なのよどこまでも。
感情と理性(客観的判断と言い換えても良い)のバランスってのが人間の行動パターンの基礎だと思うんだが、俺には理性で自己の状況を冷静に顧みる能力が無い。
表面的な事象に、そのまま喜んだり悲しんだりしてばっかり。
感情の権化。
嬉しいことは嬉しいと喜んだり、
悲しいことは悲しいとそのまま思えるのは幸せなことでもあるけど、
同時に不幸せなことでもある気がする。
仏心が結局は自分の首を絞める。
自分の心の重荷にならないようにかけた情が、最終的には自分も他人も傷付けるだけで。
たとえ傷付けてでも、鬼になるならなれって。
中途半端なスタンスじゃ何も解決しないことはわかってるけど、 でもやっぱ、自分が傷付くのは嫌で。
他人を傷付ける痛みを背負いきれないのは、
偽善だったり、
弱さだったり。
ちーぷふぃろそふぃー。