今夜もトゥナイト。

November 09 2012 02:22


半年近く前の記事だけど、
わりときちっと現状を認識できてる記事を見つけたので。

6年や7年前のミクシと比べると、
今のミクシは、

・使いづらい
・安定感がない
・魅力がない

の3無いになってしまったわけだけれども、
その原因ってのは、極論すれば、この記事の通りだと思う。

機能を変更すればするほど、
機能を追加すればするほど、
オリジナリティとアイデンティティを失っていく。

ちょっと前に、内部リークを目にした。
ミクシでは、週1回会議があって、
そこに必ず改善案を持っていかないといけないらしい。

結果的に、
「出さなきゃいけないから無理矢理出した」改善案をペタペタくっつけた結果、
改悪の嵐とゆー。

イノベートってのは、
現在のものが唯一無二じゃなくなるからこそ、
イノベートの必要が生じるのであって、
唯一無二のものにイノベーションを生じさせようとすれば、
よくて現状維持、
悪ければ後退の状況になるのは当たり前のことだ。

ID番号5桁のユーザとして言えることは、
かつて、ミクシは「大人が子供でいられるツール」だった。
しかし、度重なる改悪の結果、
今のミクシは「子供のためのツール」になってしまった。

アメリカ型の「パブリックなSNS」と、
国内の「ゲーム主導の子供向けSNS」と、
そのちょうど中間にあることこそが、その存在意義であったのに、
それぞれの機能を猿真似したことによって、
どちらも中途半端で、薄っぺらいSNSになってしまったのは、
パソ通、チャット、ICQと様々なツールの盛衰を見てきた身にとっても、
もっとやりようがあったはずだと思わずにいられない。

俺は、今の日本をこんな状況にしている電通の奴隷には絶対にならないと決めているので、
たとえミクシがなくなってもFBを使うことは絶対に無いと言い切れるけれども、
例え3無いだろうとも、今後4無いになろうとも5無いになろうとも、
そして誰もいなくなっても、無くなるまではここに居座るので、
せめてその前に、クラシックなミクシに戻って欲しいと願いつつ。

足跡機能がテスト復活ということなので、
とりあえずそこを一里塚に。

あの頃の濃密な人間関係をもう一度。

っていうのは夢か理想か。
でも、
みんなが諦めたらそこで終わり。
一人でも諦めなければ可能性はあるってよ。

ちゃ★まにだったり、
北チャだったり、
D’s Ave.だったり、
これ以上プラットフォームが無くなって、連絡を取れなくなるふれんずが出るのはもう嫌なんだなぁ。
とか思いながら。
 
 
 
 
あ、ただ1個だけ。

もしミクシが、この記事でいう完全な「フィード型」になったら、
その時は、、、ちょっと今後の身の振り方を考えるかも。
 
ミクシの最も優れた部分、というか魅力的な部分は、ここだったはずなので。
 
ひとの日記だったり、コミュだったりに、
自分が能動的に「訪問する」感覚、
それが魅力だったはずなの。
 
足あと機能と相俟って、
訪問した、訪問された、
そこに濃密な人間関係のミソがあったと思うんだよなぁ。
 
チャット全盛を経験してる人ならみんなわかると思うけど、
当時はチャットというオープンな場があって、
で、
そこで仲良くなった人がそれぞれの個人HPを訪問し合って、
そうやって人間関係が濃密になっていくとゆー。
 
ミクシも中期までは、
コミュというオープンな場で出会った人が、
それぞれの日記に行って、来られて、
そんでどんどん濃密になっていったんだけど。
 
「訪問」の感覚が無くなった「つぶやき」機能と足あとの改悪こそが、
そんな利点を全部消し去ってしまったかな、と。
 
フィード型の問題は、
そこにお互いの能動的な意識が生じないということだ。
 
でも深い人間関係ってのは、能動的な意識で成立するもの。
 
フィード型は、オフラインの補完に過ぎない。
もともとミクシは、オフとオンが並置できる形だったからこそ、
そこにいろんな人間関係の深みが出た。
 
 
ちゃ★まに時代にできたふれんずが、
顎っち、まりっぺ、一途姐、それから「ゐ」(その前からではあるけど)、
自分にとって今でも大事に思えるふれんずであるからこそ、
ネットでのコミュニケイションというものに、
大きな期待をしてしまうのは、
もう今ではアナクロなのかしら?
 
 
 
そんなこんな。


Categories: 考える。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo