月別アーカイブ: 8月, 2005

俺内テロル。

August 21 2005 21:43

自信なんてそーいつもいつもあるわけじゃねー。
でもさ、そんなん言って腰引けてしょぼーん、なんてしゃーねぇんだし、
悪いほう考えちゃう心無理矢理奮い立たせて、
パンパン、なんつって自分の頬張ってさ、
目見開いてやったるぞー!なんてやるしかないから。
 
心の奥ではひーん、どうしよう。なんて弱気だったりもするけど、
でも、強気に宣戦布告なんてしちゃって、
自分を後戻りできない状況に置いて、
んで、やればできゅるー!なんて過信してやらせてもらうから。
 
何だかんだで、俺なんてもぅ弱いもんで、
あーダメだぁ、なんて一喜一憂、
悲観する心が後から後から湧いてくることもあるから、
まず形や言葉というアプローチでもいいから、
そんな弱気を絨毯爆撃して、アハハ。なんて笑ってみせようじゃねーの。
 
 
他人に弱いトコ見せるのは平気だけど、
自分に弱いトコ見せて生きていたくはない。



Categories: トンガリ。

“E”nergy。

August 20 2005 19:01

客観的・冷静に考えれば、どう考えても恥ずかしいというか、みっともないことをたくさん言ったと思う。余計なことまでたくさん。
んでそれが悪い状況を生み出す一面があることも自分でわかっているし。
 
でもいーの。
バカでいーから、思ってることは全部言おうって。
それが与える諸々の影響とか、
そんなん頭では理解してるけど、気にしちゃいられない。
思ってること言えなくて後悔したこと何度もあるから、
もう嫌だからさそんなの。
 
それで自分が恥かいたり、傷ついたり、
そんなんで受ける傷なんて一時的なもの。
いろんなしがらみ考えたりして思いっきり衝動に身を任せたりできないなんて、
それで俺がする後悔って、目に見えてるから。
 
論理的に考えて、それがどんな種類の衝動かなんてどーでもいい。
深く考えて自分の中で決めたことじゃなくていいんだ俺は。
新鮮さとか、感動とか、
そういう類の外部刺激が俺に与えた衝動は一過性のものに見えるかもしれないけれども、
でも人間なんだから絶対にそんな衝動は当たり前だし否定できないし。
俺は、そんな衝動を丸ごと抱え込んじゃって、
そんでもってそれをずっと新鮮なまま維持してく、
そんな努力はできるつもりだし、自信だって、ある。
 
すごく諸方面に迷惑をかけたりしながら、
俺はそれでも自分の心の些細な動きもアンプで増幅するように大きく大きく発信し続けて、
ホントに申し訳ないけど、でもそれはやめない。
自分の中で芽生えた些細な揺らぎを、楽しみ尽くさなきゃ勿体ない。
それが無ければ、人生なんて、
大きな感動や悦びや悲しみも無く、終わってくのかな、と思うし。
 
そんな俺の我が儘から生まれた発言の数々、
たとい不快に思ったりなんだったりしたとしても、
そこは御容赦願いたく。
思ったことをまるまる口に出しちまう直情馬鹿には、
様々な感動や何やらを次々と与えてくれる現在の状況が、
あり得ないくらい心地良く、
受容しきれなくなりそうなくらいエナジーとなっているのです。



Categories: トンガリ。

コミュニティとしての所在を考えながら。

August 19 2005 23:58

結局はそこに描くのはどういうイメージなのかが問題で。
両足だろうと、両目だろうと、
そこにアプローチする存在の希薄さは痛感するという不毛なオプティミズムは、
誰にも最悪の姿に見えるから。
でも、明後日の生活と一昨日の生活のリンクを図るという一見無意味な作業は、
その中に底流として流れる自分内正当化メソッドにおいて数多くの示唆を与えるわけで、
それが最終的な部分の自己本位の在り方に直結するのかもしれないし。
言ってみれば、見えない先にある自我の到達点の一部を想像することという、 答えの見えない、
それでいて自分という人間の一個別化を意識した瞬間から意識下に存在する、
そんな如何ともし難い厄介な代物を抱え込む愛しさとか、悦びとか、そういうもの。
知ったこっちゃないって言やそうなんだし、
そこに関してエゴを発動してどうこうも無い。
とは言え、意味有る他者が 社会的結合という各自の頭の中に作りあげた鎖の中にしか存在し得ないのと同様、
意味有る自己なんてのも、自分の作り出した偶像の中にしか存在し得ないわけで、
そんなことにいちいち何か論理的帰結を要求したところで、何が変わるわけでもないから。
外部のどんな事象とも関係性を持たない、
また同時に、どんな事象とも関係を持ちうる、
そんな意味の無い衝動や、感動や、パッションといった、そういうのを見出していきたい。
 
その結果として得られる失敗や成功やナンタラカンタラは、
かけがえのない明日や明後日やそん次の姿。



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人間と人間のこと。

August 18 2005 22:49

結局、相手が何を考えてるかなんて、自分の経験則からの予測でしかなく。
でもさ、その経験則なんてのは、
いくら人から聞いたものや、本やらで読んだ疑似経験を含むとしても、
それでもやはりとんでもなく有限なわけで、
そこから導き出される予測なんて、全くアテになんかなるわけもない。
そんな中でも、自分の予測に身をあずけることができればいいんだけど、
何だかんだ理由つけて疑心暗鬼。
楽天だの悲観だの、自分勝手に使いわけてさ、
卑下してヒロイズム満たしてみたり何だったり。
何でもない些細なことに過敏に反応して、
躁鬱繰り返して右往左往。
 
前を向いてじっくり腰を据えて一歩一歩。
そんな俺のスタンスの中で、
なんだかんだで俺をすり減らしていくもの。
でも、泣いて喚いて、んで期待したり失望したりしながら、
それでも進んでくっきゃない。



Categories: 考える。

俺のカルティベイト。

August 17 2005 22:21

脳内哲学月間も後半戦である。
休みがあったこともあり、いろいろ考えて、いろいろ書き散らして、んで気付いた。
 
やっぱ俺はこういう生き方しかできねー。
自分のペース崩せねーし、協調性ねーし、
はっきり言って他人に迷惑かけまくりだ。
それはわかっちゃいるし、申し訳ないとも思うんだが、
だからって自分の生き方や行動規範を変えれるほど器用でもねーし。
 
そんな俺のバカな生き方を、ほとんどの人は冷ややかな目で見てるだろうし、
さもなければ心配してるかもしれない。
でもまぁ、それがどんな結果もたらすか、
良いほうも悪いほうも見えてるつもりではいるから。
そんで、その上で選んだ俺の価値観だからさ。
悪いほうに出りゃ、それはそれでしゃーない。責任は自分で取るし。
 
こうしたらどうなる、なんてさ、
まぁ9割方こうなるだろう。なんて常識的な予測の範囲で行動するのもいいけど、
わかったうえで残り1割に賭けてみたっていーじゃん。
成功したら、もちろんそりゃぁ、どうだ見たことか!
で、失敗したらしたで、アハハ、やっぱこうなったか!
なんて、どっち転んでも笑って受け入れるから。
その覚悟くらいは、いつだって、ある。
 
究極的なこと言えば、
まぁ人間なんてどうやったって生きていくくらいはできるさ。
って思ってるから、
やっぱまずは自分が自分であることを大切にしたいからさ。
他人のために人生生きてるわけじゃないし、
俺が俺で満足できりゃそれでいい。
 
生きてることこそが一番の苦しみ、なんて仏教概念あるけど、
いちいち周りのこととか先のことなんか気にしてたら、ホントにそうなっちまうから。
毎日いくつも迫られる、行動1つ1つの選択全てが、
自分の理想の生き方を追究するための分岐点。
全部を自分らしく行くことで、すっげー楽しんでるからさ。
そのために、面倒くさいことなんか気にしてらんない。
 
全ての人が見離しても、それでもやっぱ変えられないもの。



Categories: トンガリ。

存在証明。

August 17 2005 01:09

ごく身近な某人の、某場所における、某カキコに対する諸提言。
 
欲しくてしょーがないなら、それでいーじゃん。
それを、わかったような口振りでさ、簡単に「諦めるー」なんて、
何だよそれ。
何かを得ようと思った時に、
何もかもが順風満帆に行くことなんてあるわけないんだからさ、
欲しいなら力尽くでも手に入れりゃいーんじゃないの?
 
結局、自分が傷つくのが怖くて、そういうポーズ取って、
「これが私の主義なんですー」なんつって、
楽ーな逃げ道作ってるだけじゃん。
人を傷つけるのが嫌だからー、なんて、そういう問題じゃないんじゃないの?
結局はそういうものわかりのいい、
「平和主義な私ぃ♪」
って気分に酔ってるだけだって、まだ気付いてないの?
 
人生だって、恋愛だって何だって、
自分の気持ち優先すりゃ、絶対にどこかで傷つく人が出てくるのはしょーがないわけで。
だってそうでしょ、自由競争の中で、席が限られてる以上はそれは絶対に避けられないことなんだし。
そんなのに配慮して、チャンスを目の前にして「どーしよ」なんて言ってるうちに、誰かにかっさらわれちまうわけでさ。
そんなんどっから見ても一緒だから。
お前が拾わなきゃ他の誰かが拾うし、
他の誰かから見りゃ、お前だって「他の誰か」なんだよ。
 
中途半端に「かわいそー」なんて、自分を正当化したい欲にかられてりゃ、
「しめしめ」なんつって、虎視眈々と狙ってた奴が出てきて、
今度はお前が傷つく番さ。
そんなことやってるうちにさ、
背伸びも何もしなくても手に入るとこだけに妥協しちゃって、
んで、
「こんなはずじゃなかった」なんて。
 
いい加減、
「わたしダメだから仕方ないのー」
なんてヒロイズム捨ててさ、
目の色変えて強引にでもやってみ。
誰かを傷つけたくないならお前が傷つくし、
お前が幸せになりたいなら、
いーじゃん、その結果なんてさ。
 
んで、自分が最高に幸せになってから、
その幸せをみんなに還元していけばいーのさ。
自分が幸せじゃない人間が誰かを幸せにできるなんて考え、大間違いだ。
自分が幸せだからこそ、他人を幸せに出来る。
じゃあ、まず第一歩はどこを目指せばいいかわかるはず。
 
余計な社会性や理屈なんて捨てちまって、衝動で。



Categories: 考える。

ある男の物語。

August 15 2005 20:52

昔、ある所に一人の男がいました。
男は、恙無い暮らしを送っていましたが、
ある日から、大きな悩みを抱えてしまいました。
とても素敵なものを見つけてしまったのです。
ただし、それを手に入れるためには、今持っているものを失ってしまうのです。
 
男は悩みました。
どちらを選べばいいのだろう。
男は、新しい素敵なものに心を惹かれていました。
でも、今持っているほうを失うのも怖かったのです。
周りの人も口々に言い立てます。
「やめなって、そんなこと」
「周囲の人の迷惑とか考えてみなよ」
「最低だよ、そんなの」
今持っているものを捨て去るのは、たいへんなリスクを負います。
悲しむ人も出てきます。
何人かの人には後ろ指を指されることもあるでしょう。
結局うまくいかなくて、何もかもを失ってしまうかもしれません。
 
男はついに決心しました。
「周囲の人に迷惑をかけたりしなくないしな。今回は我慢しよう」
そうして、男はささやかな幸せの中、この先も暮らすのでした。
 
何十年もの月日が経ち、男がついにこの世を去る時が来ました。
病の床で男は自分の何十年を振り返ります。
そして最後に思ったことは、
「俺の人生、これで良かったのかな?
もっと大きな幸せを得ることができたような気もするし。
ちょっと、悔しいなぁ」
 
そんな、ありふれた男の、ありふれた人生。
男は、幸せでした。
本当に、幸せでした。
でもそれは、決して大きな幸せではなく、
とてもささやかな幸せでした。



Categories: つらつらと。

衝動の勇気。

August 14 2005 23:11

人生の中の諸々のことなんて、ちょっとしたタイミングのズレで、いいほう行ったり、悪いほう行ったり。
どーしよぅもないこととか、やっぱ環境的にあるわけだし、そこでどーこーなんて、そりゃぁ簡単に考えるわけにはいかねーけど。でもまぁ、タイミング悪い中で、自分がこれ!って思える選択肢を選ぶにはいろいろと不利益を生じることがあるとしても、それでも、これ!って思ったその気持ちだけは大切にしなきゃいけない。それは誤魔化すことは許されない自分の中のきっと核になる衝動。
だから、ちょっとやそっとの障碍なんてぶっち切っちまって、目つぶっちまって、んで、恥ずかしいのやら不安なのやら申し訳無いのやら全部一回リセットしちまって、えいや!なんつって、自分だけのために一歩大きく踏みだしちまってもいーんじゃねーの?後のことを考えてもしょーがない。後のことを考えるのは、目の前の物をちゃんと全力で見れてない証拠だから。
ウダウダ考えてるより、走り出してから見えるものなんて、たくさん。



Categories: トンガリ。

リセット。

August 13 2005 18:13

忙しかったり、嫌なことだったり。そういう日常の中で忘れかけていたこと。
俺が俺であること。そして、俺の目指す俺であるためにすべきこと。
しがらみの中で自分を主観的にも客観的にも見れなくなって、右往左往している、そんな時に、俺に対する期待であるとか、イメージであるとか、そんなことをぶつけてくれることこそが、俺にとってはかけがえのない道標。
もう一回、底無しのバカに戻って、やってみよう。一歩を踏み出し直そう。過信しすぎるくらいに自信を持ち直して、まだまだ行けるんだ俺は。
 
きっと、そんな単純な事を気付かせてくれるたくさんの人々のおかげで、俺は俺でいられる。今までも。今も。これからも。
感謝は、いずれ何らかの形で何百倍にもして返すつもりだから、しばし待っててくれ関係者諸氏!



Categories: トンガリ。